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DATUMS 1991.11
ゆとり――内なる旅

百武 正嗣  財団法人神奈川県予防医学協会健康センター

■ももたけ まさつぐ


  日本人も最近は、ゆとりを求めるようになってきた。ゆとりの取り方は人それぞれ違う。会社の帰りに一人で一杯というのは、中年オジサン族のささやかなゆとりの時間だ。そこへいくと、若い女性は、もっと派手な方が好きだ。海外旅行や昨今の温泉ブームは、いつも若い女性が火をつける。ヨーロッパをぐるりと回って、地中海の砂浜でワインと夕日を楽しむ。
  ところが人間は、病気という方法でゆとりを求めることがある。忙しい日常から逃れるために病気になるわけだ。病気になれば仕事を休まざるを得ない。自分で大事な仕事があると思っていても熱があって会社に出かけることができない。しかたなく、朝、会社に電話を入れる。電話で「大変申し訳ないが、風邪で会社を休ませてくれ」と言う。「じゃあ、お大事に」と相手の声を聞く。そして電話の受話器をガチャンと切って「さあ、一寝入りするか」と布団に戻った瞬間のほっとした気持ちは誰にでも経験があるだろう。忙しい日常から逃れられて、自分一人だけになるささやかな時間である。欧米のある学者は「病気は西欧人の瞑想である」と言った。なるほどと妙に感心したことがある。
  病気は時代とともに変化する。戦後の日本では、結核で何十万人という人が死亡した。しかし、ストレプトマイシンなどの薬の発明などで結核のような伝染性の病気は恐くなくなった。そして、昭和56年からは悪性新生物、つまりガンが死亡原因の1位となった、平成4年度死亡原因では、ガンで20万人、次に心臓病で16万人、3位の脳卒中で13万人位が死亡するだろう。
  このガン、心臓病、脳卒中を三大成人病という。この成人病の特色は、結核のように病原菌が存在しないことだ。原因は個人の生活習慣、つまりライフスタイルにある、もし、個々人がゆとりのあるライフスタイルを持っていたら、これらの三大成人病で毎年50万人も死ぬことはないだろう。ゆとりのある食事、ゆとりのある人間関係、ゆとりのある仕事は、ゆとりのある人生である。そうすれば、わざわざ病気になって瞑想する必要はない。人生が瞑想になる。

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