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DATUMS 1991.04
気付き”のある暮らし

堀越 栄子  日本女子大学専任講師

■ほりこし えいこ


  最近、楽しみにしている時間があります。そのひとつは、ヨーガをしている時間です。まだ、はじめて10ヶ月程度ですし、はじめたといっても、月2回、各1時間半位、習っている時間にするだけなので、大きなことは言えないのですが、とても気持ちのよいものです。からだの中に凝り固まっていたものがほぐれるような感じで、楽になります。以前乗馬をしていた時には、馬の背で揺さぶられている間に、オリのように沈んでいた色々な疲れが抜けていくのがわかったものです。ヨーガの場合は、それほど刺激的な感覚ではないものの、ホッと生き返るからだを意識できる時間です。
  地域の人とのつきあいも、何がでてくるのかわからないといった楽しみがあります。皆、誰から言われたわけでもなく、自分がしたくて、手間ひまかけた活動をしています。
  ひとは、ひとりひとりが違うもので、差があるからこそ交流が楽しいことがよくわかります。お互いに関わり合うことで、エネルギーをあげたりもらったりできますし、生活の幅が広がり、選択肢が増えてきます。まわりの人々の、内発的な力を軸にした時間の過ごし方をみて、もっと自分のチャレンジ精神を楽しもうという気になってしまうようです。
  こうした経験は、地域が<寝に帰る>ところだけだった時には味わえないものでした。先日、あるシンポジウムのお誘いをうけました。人生80年時代がきたけれど、ひたすら会社人間できた人にとって、人生の後半をデザインするのはそれほど容易ではない。そこで<遊びのある人生>を提案し、人生になぜ<遊び心>が必要なのか、また、<自遊人>とは何かについて一緒に考えましょうというものです。
  会社中心に過ごす時間は、多くの人が同時にかかわる、いわば社会時間です。個人個人は、生命がもつ自然時間も持っています。経済効率が幅を利かす社会では社会時間が優勢ですが、生命を育んだり、年をとったり、病気をしたり、障害を持ったり、社会時間の不自由さを感じると、生身の人間の持つ自然時間が本人にもわかりやすくなります。高齢社会を迎えて、人間が両方の時間を生きていることが、改めて浮上しはじめたのではないでしょうか。
  自分の全体像を折々に点検しながら、両方の時間をうまくコントロールしながら暮らしたいものです。日常的な、あるいはまとまった自由時間がそれを可能にすると思います。ただし、仕組まれたプランで自由時間を過ごすのではなく、自分のプランとペースで過ごせば、自分のからだや暮らしの状態、また自らの新しい可能性に気付く時間をもてるのではないでしょうか。中年に域がさしかかって、“遊び人”になってみたいものだとつくづく思います。
  国内・国外の旅行も、これからはそんな風にすごしてみるつもりですが、こうしたオートノミーへのしかけを考慮した施設やサービスも必要になると思います。

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