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DATUMS 1991.04
「遊び」と「アソビ」 ――労働時間短縮はなぜすすまないか

内山 節  哲学者

■うちやま たかし


  山形の山村に暮らすKさんは、農林複合農業をすすめる農民である。いろいろな作物が、Kさんの工夫のなかから生まれてくる。そのKさんは、仕事人間は駄目で遊びもできる人間でなければならないという最近の論調に、農民の感性とは違うものを感じると言う。
  「昔の荷車の車軸には必ずアソビがつくられていたでしょう。農民が使うアソビという言葉はあれに近いんです。」
  暑い夏の農繁期、刈り入れの後に訪れる農閑期、農民の仕事には一日の中でも、仕事に精を出しているときも、けっこう愡けているときもあって大きく変化していく。だから車軸のアソビが車軸の動き方の変化をつねに良好にコントロールする役目を果たしているように、農民のアソビも労働とともにあるもんだと言うのである。それは骨休めの時間でもあり、仕事の中の愡けている時間でもあり、労働の間(ま)のとり方のようなものでもあって、このなかに昔は村祭りも、農閑期の湯治も、談笑の時間もあった。「ところが遊びは、仕事を離れて、っていうことでしょう。」
  仕事とともにあったアソビが、仕事と分離された遊びに変わる。ところが西欧の人たちのように、労働とは神が人間に与えた罰とは理解していない私たちは、少しでも早く労働から逃れることが人間の自由の獲得だとは考えていない。むしろ仕事をとおして自分を表現することに愉しみを覚えている。
  私はそれを悪いことだとは思っていない。ところが今日のように仕事の中のアソビがなくなってくると、私たちのこの精神はただ仕事に追いかけられるだけのものになってしまうのである。その結果は、仕事があるから骨休めの余裕もないということになる。
  日本において労働時間を短縮するには、仕事の中のアソビを回復するというところから始めなければならないと私は思う。仕事の余裕が、企業から離れた時間のゆとりをも生み出すはずだと思うからである。

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