[BACK]
DATUMS 1991.08
よき企業人、よき市民

秋永 晄  日本バルディーズ研究会世話人



  まず、私の所属しているバルディーズ研究会について、簡単に紹介したい。この会は、アメリカで生まれた企業の環境倫理基準「バルディーズ原則」を、日本の風土に沿ったかたちで展開するために<企業と市民の共同作業を通して、地球環境への不可が最小になるような企業経営のメカニズムを研究・提言する>ことを目的に、昨年5月に発足した。1年以上経過したわけだが、この間私は一市民と企業人の間をたえず揺れ動いていた。そんな私が心動かされた雑誌の記事があったので、それをもとに話を進めてみたい。
  「市民」という言葉について、以前雑誌で目にした記事がある。それには、こんな意味のことが書かれていた。
  <ヨーロッパ人には市民としての三つの義務がある。まず一つ目は、よき仕事人であること。企業に勤めているなら、よき企業人でなくてはならぬ。二つ目は、よき家庭人であること。子供の教育を始めとして、家庭で父親が果たすべき義務をしっかりと行うのがよい。そして三つ目がよき地域人であること。会社や家族だけでなく地域社会にも貢献しなくては、本当の意味での人間らしい生き方とは言えない…>
  こんな文章を目にして、「なるほど」と思った。たしかに日本でも最近[企業市民]という言葉が頻繁に聞かれる。だが、これはあくまで<企業の市民としての行動>を指すものであって、企業行動の中にどれだけ市民意識を反映させているか、といった意味合いである。つまり、市民意識を反映していたとしても、それはやはり企業としての行動であって、一個人としての行動ではないということである。
  このヨーロッパ市民の話は、「よき企業人であると同時によき市民」であることの大切さをわれわれに教えてくれてる。われわれ日本人は、よき企業人という意味では、仕事に対する熱心さといい、会社に対する忠誠心といい、申し分のないものがあると思う。しかし、よき市民という面ではどんなものであろうか。私自身企業人のはしくれであるが、振り返ってみるに、どれだけ家庭のことをまじめに考え、父親としての義務を果たし、なおかつ地域社会のことに取り組んできたかを考えると甚だこころもとない。
  こんなところにも、ヨーロッパ人社会とわれわれ日本人社会との間に横たわる大きな隔たりを感じる。
  経済やテクノロジーの面では、たしかに日本は欧米に追いつき追い越したと言えるかもしれないが、こと肝腎の社会そのもに関していえば、西洋型民主社会にはほど遠い状況だと言えはしまいか。そんな意味で、われわれにとって、「よき市民」の意味付けが強く問われるに違いない。

[BACK]