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DATUMS 1992.01
1993年はどういう年か

菅原 敏夫  東京自治研究センター



  表題の「1993」は「1992」の誤植ではない。与えられたテーマは1992年。当然、世の識者がどう考えているか既刊書を集めて読んでみることにした。これが失敗のもとだった。私の机の上にはあっという間に10冊以上もの本が積み上がることになった。いわく『全予測1992年消費文化はこうなる』『1992年株はこうなる-復活の研究』『1992年世界はこうなる』『1992年日本はこうなる』『1992年版大予測日本経済今年はこうなる』『1992年の読み方-日本と世界』『全予測1992年の日本経済』『THE WORLD IN 1992』『明日の世界を読む-1992年の衝撃』『日経大予測92』……
  92年はもう「こうなる」という必然の領域に入ってしまっているのだ。これらに何を付け加える必要があるというのだ。それにしても何という出版文化の貧困だろうか。読者には全予測なのか大予測なのかの選択権程度しか与えられていない。
  ひとつまじめな心配もある。これほどのスピードを必要とされる時代に出版という形態は生き残れるのだろうか。どの本もソ連の行く末が心配でページを割いている。92年には、ソ連邦の消滅やゴルバチョフの失脚もありうる、という予測だ。92年の到来を見る前に、現実は予測を追い越した。
  91年は92年のことが病的なほどに気になるという特徴を持った年であった。92年は盛りだくさんの行事で論ずる魅力のある年だった。バルセロナ五輪、セビリア万博、コロンブス米大陸到着500年、EC統合、米大統領選挙……。誰でも一冊くらい本を書きたくなろうというものだ。
  ところで93年はどういう年なのか。予測の手法は簡単である。「歴史は繰り返す」。私の記憶にあるかぎりでも91年は73年におこったことがすべて起こった。だとするなら、93年には75年に起こったことがすべて起こる。コントラチェフの長期波動論を採用すれば、96年が底だという。世界経済はまだ坂を下りきっていない。75年にはサイゴンが陥落し、カンボジアはポルポト派が実権を握った。三億円事件が時効を迎え、企業爆破グループが捕まった。三菱重工ではレイオフが始まる。フランコと蒋介石が死に、サウジアラビアの国王ファイサルが暗殺された。天皇が訪米し、皇太子は沖縄を訪問して火炎瓶を投げつけられた。東京の人口は減り、土地対策にやっと本腰が入った。赤字公債が発行される。サッチャーが首相に選ばれ第1回のサミットがフランスで開かれた。これはオンリーイエスタディ、ほんの昨日の出来事である。そして今日は昨日と同じ。

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