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DATUMS 1992.04
揺らぎと生きがい――中年世代の生活意識

山岸 秀雄  労働省委託リフレッシュ研究会主査、第一書林・総研センター代表



  中年の概念がどんどん高齢化して、『広辞林』などをみてみると、いまや50代も中年に含めるそうである。職業生活時間が長くなってきたということなのだろうが、この“長い中年”を生きるには新しい知恵が必要なようである。
  「追いつき追い越せ」の時代は課題が常にシンプルだった。目標は同業他社の動向であり、売り上げであり、あるいは同僚であったりした。むろんナショナル・ゴールは西欧であった。そこには「競争」という疑いのない課題があった。
  昨年リフレッシュ研究会が「中小企業を中心にするリフレッシュ休暇に関する実態調査」を行ったが、こうした状態に、ある“揺らぎ”が起こりつつある、というのが私の印象である。少なくとも、ただやたらと働けばよいという意見はなくなってきつつある。
 技術革新や社会変化ということもあるのだが、20年30年という職場生活の節目に「リフレッシュ休暇」という名の長期休暇を過ごし、非日常の世界に自分をおくことを制度化する会社多くなったのは、やはり一種の“揺らぎ”である。
  仕事が生きがいであることは決して悪いことではないのだが、そういう思い込みはえてして他人にもその生き方を強制してしまう危険がある。休暇制度の聞き取り調査をしていると、「最近の若者は休みたがってしょうがない」という声や、「有能な人間は忙しい。忙しい人間は有能だ」といった錯覚もないではないが、思い切って休んで良かったという声が圧倒的だ。休んでみれば、仕事だけがすべてではないということがわかるようである。長い人生を振り返った時「競争の日々」だけがそこに横たわっていたら、やはり貧しすぎよう。
  世の中では「企業社会論」が盛んである。そこでは例外なく、企業の目的に人生の目的を重ねて生きる日本人の異質性が指摘されているが、それは会社以外にも生きがいを持つことの奨めでもある。こういう議論が始まってきたこと自体がすでに時代が揺らいでいることの証しなのだが、企業社会の揺らぎを企業経営者が提起するところに日本の悲劇(喜劇)があるという意見もあるが、さしあたって変わらないよりも、変わったほうがよい。
  どのくらいのタイム・スパンで時代を読むかということなのだが、たぶん日本という国の青春が終わり、中年にさしかかってきたのである。「成長」というものが積極的な価値をもたなくなってきたのだ。「成長」が必要であるにしても、価値というものは多様であり、多元的であることが諸国との「摩擦」によってはっきりしてきたのではあるまいか。
  リフレッシュのメニュー(方法論)はたくさんあるが、日常とは異なった空間に身を置いてみると、そこに異なった時間が展けるようだ。その意味で休暇を海外旅行で過ごす効用を指摘する声が多かった。それは「生きがい」の発見でもある。

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