[BACK]
DATUMS 1992.06
企業人とボランティア活動

早瀬 昇  (社)大阪ボランティア協会事務局長

■はやせ のぼる
 1977年京都工芸繊維大学卒業。1977年-1978年フランス・ベルギーの社会福祉施設。1991年より現職。著書:ボランティア=参加する福祉(共著・ミネルヴァ書房)/地域福祉講座(4)ボランティア活動の実践(中央法規出版)/ボランティア活動の理論?(共編・大阪ボランティア協会)/生涯学習ハンドブック(共編・日本青年奉仕協会)など


  「企業の社会貢献」活動が花盛りである。
  (社)大阪ボランティア協会が昨年10月に開設した「企業市民活動推進センター」にも、わずか半年で80社を超える企業が相談に訪れている。総務部などの担当者がわざわざ“出向いてくる”ことは、まさに隔世の感がある。
  しかし実は私のまわりには、こうした盛り上げリに批判的ないし冷笑的な目を向ける人も少なくない。いわく「企業のイメージアップに利用されたらかなんな。企業は他にもっとやらなあかんことがあるやんけ!」(私は大阪に住んでいます)。
  確かに“せなあかんこと”は多い。たとえば障害者の雇用。63人以上社員を抱える企業は、社員数の1.6%以上の障害者を雇わねばならない。しかし「社会貢献活動」に関心が高い大企業でこの法的義務をクリアしている企業は実に少ない。法的雇用率を超えている中小企業が少なくないだけに「他にやること…」と言いたくなること発想もよくわかる。
  しかし、この“正論”に固執しすぎることも考えものである。というのも、この「潔癖性」こそは、日本でボランティア活動の広がりを阻んできた要因の一つでもあるからだ。
  実は「ボランティアの聖人視」は、一種の“差別”につながる。
  たとえば、こんな状況を想像してほしい。納期が迫り、社員一同残業という時に、早く出るための言い訳。「すいません。実は今日は年に一度の結婚記念日でして…」という理由なら、「尻にしかれているというか仲が良いというか…。まぁ、しゃあないな」と言ってくれるかも(?)しれない。これが子供に関することなら、さらに共感されやすいだろう。
  しかし、「今日はボランティア活動の例会がありまして…」ということになると、どうだろう。「お前は偉いねー。俺のような凡人は、自分のことをするだけで精一杯や」。これは実質的に皮肉である。
  
実にはボランティア活動は「聖人」の世界ではない。「寂しくて」「虚しくて」と、つながりや役割を求めてボランティア協会を訪ねる人は、実は少なくない。就職のステップという打算で活動する人もいる。そうした動機を“不純”と否定してしまうと、ボランティアはかなり減ってしまうとさえ言える。しかし、その人たちが活動の中で変わっていくのである。“願い”を実現しようとするがゆえに、タダで手伝ってもらう“屈辱”を乗り越えて応援を求めてくる相手に共感し、かえって自分が励まされるからだ。
  この個人事情が、そのまま企業に当てはまるとは言わないが、ともかく動機を問いすぎないことだと思う。企業と社会との距離は絶望的に遠かったのだ。動機がどうであれ、ともかく“願い”で動いている世界と近づくことは、企業と閉じた家庭しか知らなかった企業人を、そして企業自体を変える可能性がある。それに「駄目でもともとやんか!」

[BACK]