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DATUMS 1992.06
草の根イベントとしての、まつり

今泉 清  下町タイムス社・代表

■いまいずみ きよし
 東京都生涯教育委員、墨田区、江東区の主な委員、東京イベント学院講師。
 下町タイムス社:主な事業◇役所、民間企業などからの調査委託、出版、イベント:役所、民間、地方村お越し・町おこし、<主な実績>NTTタウン誌大賞受賞、サントリー地域文化賞受賞、インタークロスイベント賞受賞。


  人間の一生は「誕生」という祭りで始まり、「死」という祭りで幕を閉じる。この間、世間という荒波をくぐり抜け、多くのイベントと出会い、仲間という人間とも出会う。
  私たちは家庭、学校、地域、職場といったそれぞれの単位で出会うさまざまなイベント、まつり、祭りを通して成長し、その中で人間の形成が行われる。
  こうした機会に、自分も参加し、その出会いを通じて汗を流し、涙を流し、感激し、飾ることなく話し合える仲間ができるなどして人間の感性は豊かになり、その人生の巾が膨らむ。こうした機会により多く恵まれた人の人生ほど、豊かなものである。
  近年行政がイニシアチブをとった○○まつりなどが盛んであり、企業のイベントと合わせて、ホテル、デパートなどを歩くとイベントと出会わないことはまずない。祭りは多くの部分でどんどん日常化している。日常の生活の中に多くのイベントがあり、まつりがあり、それがそのまま私たちの日常にすんなり溶け込んでいる。
  神事を伴う祭りの衰退である。私たちの子どものころ祭りは神社を中心に行われ、年一度ないし2年、3年に一度というように、そう年中あるものではなかった。「晴れの日」においしいものが食べられ、きれいな着物を着る。非日常の中での祭りの楽しさ、ワクワクする思いで祭りの日を迎えたという経験があった。楽しみ薄い毎日が続いていたからであろうか。
  神事の儀式が排除されて行政の行う○○まつりも年々数を増し、住民の参加数を競うようになっている。地域のコミュニティが年々なくなっていくことをと、○○まつりに参加者が増加している傾向を見てみると、まつりやイベントに参加することが、感激したり、新しい仲間と出会う機会というより、ただ何となく参加しているという風景に映る。汗も流さないし、感激もない。
  地域のまつりは朝方まで降っていた雨が午前9時ないし10時ころにあがるのが最高である。イベントの内容とは関係なく人出は最高に集まる。自分の近くで何かをやっているからである。
  行政のまつりに感激性というある種非日常の気分がもてないのは、費用、人といったまつりに決定的な要因についての苦労がなく、行政の人、予算を使えばよいという発想に落ち着いてしまうこと。これを逆転させて、市民がまつりの計画を立て、市民が行政の人を動かすという方向になり、神社など神事の祭りを参加させることで、地域が営々と築いてきた年中行事の営み、1月1日に門松をたてたり2月に豆まき、3月おひなさまというように私たちの祖先が行ってきた年中行事に、現代的な地球環境、自然保護、リサイクルといったものを加味したまつりの運営を市民が立てられないか、行政は金を出すが口を出さないという中から祭りを通して市民が成長し、感激を共有できると思うのだが。それにしても人間、仲間、世間といった間学(あいだがく)の成長が不可欠な要素である。

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