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DATUMS 1992.07
報道にみる「豊かさ」と「余暇」の周辺

第一書林・総研センター



  必要なことは分かっていても、それを手に入れる方法論がないのは残念なことだ。いわゆる「生活大国」論などもその一つである。新聞、雑誌では「生活大国」論が毎日のように伝えられているが、これは世界の貿易黒字を独り占めにしている日本人の生活実感が、意外と貧しいものであるところからはじまった問題意識である。
  宮沢首相の「公約用語」であることや、「大国」という言葉はいかがなものか、といった反発を含め様々な意見もあったが他に適当なネーミングも見あたらないのでなんとなく定着しそうな言葉である。
  首相の諮問機関である経済審議会の「生活大国」部会のの報告によれば「美しい生活環境の下で簡潔なライフスタイルが確立された社会」をめざすとのことだが、住宅の拡充や労働時間の短縮など、各論を読むとこれまでの政府の各種審議会がまとめたヴィジョンと、さしてかわるところはなさそうである。
  とはいえ、こうした動きはムードづくりとして大事なものである。労働時間を1993年までに1800時間に、という各界による目標はどうなったのかという声もあるが、とりあえず時短を進めるという国民的な合意はできたようである。
  そこでことの順序として、では時短がすすんでその余暇をどう使うのか、といった論議も「生活大国」論と同じように連日マスコミで賑わっている。
  「レジャー白書'92」が市場の面から日本人の余暇活動の構造をとらえているが、それによると、全体の余暇の市場規模は71兆9740億円で、その最大のウエイトは娯楽部門にあるとのことだ。娯楽のなかでは飲食部門が大きく(17兆5090億円)、パチンコの売上高(15兆7570億円)がそれに次ぐとのことである。飲食部門の大きさは家庭生活のなかでの外食が増えたということよりも、会社の「接待飲食」が多いとのことである。つまり日本は社員旅行などを含め、レジャーも会社依存型なのである。
  約72兆円という額が市場規模として大きいか小さいかはわからないが、消費のパターンが偏りすぎていることは確かであろう。豊かさを実感できないのは、質的にすぐれた休暇の過ごし方を日本人は知らないということなのだろう。
  「シニアプラン開発機構」の調査によれば、「生きがい感」はサラリーマンの現役よりもOBの方がより充実しているとのことだが、そうなると時間がたっぷりありさえすれば、日本人も楽しみ方を身につけることができることになるのだが、残念なことに、同調査では「生きがい」の内容がいまひとつはっきりしない。
  とはいえ最近のマスコミ論調では「小人閑居して不善をなす」といったレイの言葉はさすがに死語となったようである。

[首相の語る生活大国(1992.5.22朝日新聞)]
  「大国」というと、いかにもゴテゴテした感じを与えるかもしれない。水洗とか下水道、公園、家もまあまあ気持ちのいい家でなくっちゃいけないだろうが、入り用のものさえあったら、シンプルなライフスタイルの方がいいんです。相応な所得があって、自分に相応なそこそこの時間があって、自分の生活設計とか価値観をもって、そういう意味で豊かな生活を送れればいいなぁ、と。幸せや豊かさは心の問題であって、それをつくろうと、そんな生意気な事を言っているわけではない。そういう環境をつくるのが政治の役目だと思う。

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