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DATUMS 1992.07
分散型余暇社会は到来するか

米村 恵子  (財)余暇開発センター主任研究員

■よねむら けいこ
 慶応大学文学部社会学科卒。昭和49年より財団法人余暇開発センターに勤務、余暇行動や価値観、ライフスタイルなどの調査や国際会議の企画、運営等を担当。昭和62年度通産省の依頼により「企業ゆとり度診断指標」を行い、毎年診断を実施している。文教大学講師。主な著書に「市民文化と市民行政」(学陽書房、共著)、「90年代のレジャーマインド」(創知社、共著)がある。


  年々親離れしていく子どもを見ていると、人生80年のライフステージで家族旅行を楽しめる期間はわずかなもの。それなら思い切ってと、2ヶ月も前から予算を捻出し、働きバチのお父さんは1週間の連続休暇を申告して、7月末の夏休みに憧れのブルートレインでの家族旅行を計画したが、肝心の切符が取れる見込みが全くなく、このままでは断念せざるを得ないという。朝6時に整理券を出すがそれに並んでも実際に切符を手に出来る可能性は99%ない。駅でも代理店でも、この時期に人気列車で4人分なんて非常識といわんばかりの素っ気なさである。
  だが、夏休みだからこそ、みんなで一緒に少しぜいたくな旅行もしたいのである。それに何とか応えるのが行政や産業のめざすべき方向であって、若干の廉価をエサに力づくでニーズを平準化するような分散なら疑問が残る。誰もが希望するレジャーをなるべく好条件で豊かに楽しめるべく支援するのがレジャー産業の考える分散であって欲しい。勤務時間や休みの時期を個人の都合で自由に決めたいという欲求は働く人々の間でかなり強いものの、連続休暇の代表格ともいうべき夏休みの実態は、依然集中傾向にあるようだ。ピーク時の宿泊料金の高さや予約の困難さは解消どころか、レジャーへの関心が高まった分だけ悪化しているようにさえ感じる。
  確かにピークをならして平準化すれば、さらに夏季に拘らず1年を通じて四季折々に平準化すれば、需給双方にメリットがあることはわかっているのだが、仕事の配慮もあり、希望としてさえ定められた時だけの一斉夏休みを志向する人が4人に1人はいるのである。経済社会の諸制度の現実を加味すれば、なおのこと需要サイドの動きが急速に平準化方向に進む気配は乏しい。もちろん時期をずらして9月に夏休みを取る人も出てきてはいるが、まだまだ少数派である。
  私はかねがね、休暇時期の分散というのは確かに多くの人が豊かなレジャーを楽しむ方策の一つではあるが、それはあくまでも需要サイドの自然な発想を支援してこそ、効力を持ちうるものだと思ってきた。
  レジャーの原意は祝祭である。多くのエネルギーが集中して命の炎を燃やすその本質のひとつであって、お盆前後の集中帰省が都市と地方の情報と活力の相互交流の貴重な機会になっていることは否定できまい。
  分散というと、今ある山を崩してばらつかせる感じだが、そうではなくて今あるニーズは尊重して支援しつつ、新たなニーズを創出して稼働率を上げることにより、従来の山へもサービスの拡充を図るべきではないか。
  レジャー産業は、新たなニーズ創出にむけて、同時期に同一方向へ移動し限られた観光スポットに集中するのでは味わえない、多様な楽しみの発見への誘導というソフトの開発にもっと力を注ぐ時に来ていると思う。

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