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DATUMS 1993.10
本物広場と仮想のむらを求めて 武蔵野はらっぱ祭り

藤紀 豊士  武蔵野はらっぱ祭り実行委員

■ふじき とよし
 1953年1月生まれ。都立新宿高校中退。中小企業の工員となり、組合を結成する一方、地域合同労組づくりに参加。87年、武蔵野はらっぱ祭りを飲み仲間数人と画策。以後「遊び人」として今日に至る。10月30日・31日両日に行われる第7回の祭りに向けて、ピッチを上げている。


  日本には広場がない。集会場や公園など、それに何といっても駅前広場があり、その数半端じゃない。しかし日本には広場がない。
  広場を辞書で引くと「集会や遊びに使われる広くて平らな場所、意思疎通がはかれる場」とある。この意思の疎通が曲者だ。
  私たちは原っぱで、毎年秋頃祭りをやる。或る飲み屋で偶然居合わせた酔っぱらいが意気投合、「なけりゃ創ればいいさ」と本邦初?広場創りが6年前。そんな時、身近にひょっこり出現した(てなわけはない)の原っぱなのだ。
  年齢や職業や住処は違えど、自称詩人や画家や音楽家や作家が、この指とまれで集まった。表現や思想の自由、創造・創造力の発現、見知らぬ人との交流の場、それが広場と固く信じる面々が、チカラシバたなびく原っぱを見て、迷わず命名したのが『武蔵野はらっぱ祭り』なのであった。
  ロックや民族音楽、民族舞踏にハードな舞踏。自然の尊さを静かに語る映画上映やもし見る集い。彫刻や写真展示にワークショップ。子どもたちが風船片手に走り回り、くじら山という小高い丘では草スキー。大人も子ども手に手を取って、踊る楽しさ、語る楽しさ。アジア各国の手料理が舌を楽しませ、リサイクル市花盛り。ピナツボ火山禍救援あれば、カンボジアにラジオを送るボランティアあり。何でもござれの交歓なのだ。ここが本当に東京なのかと我が目を疑うこと間違いなし。祭りに見を投じると、ひょっとして日本であることすら忘れさせる。
  伝統は破りかつ創り出す。地盤、看板、かばんなし。あらゆる既成の祭りの対極に私たちの祭りはある。政治や文化は必ずや「はらっぱ」から生まれると大言壮語、さらなる熱い人の輪を広げんと意気込んでは酒を飲む。祭りは政(まつりごと)であり、日常から炸裂した、ぎりぎりの本音の世界=狂気を求める。故に「ケンカ」と苦労は絶えることなし。
  東京三多摩を漂白する私たちには、故郷と呼ぶべき「むら」がない。「むら」の共同性に憧れつつ、背反する解放へ向かう途上に原っぱがあり、突如出現する祭りが、仮想の「むら」に命を与える。形態なき故に可能性を秘めた「むら」に。
  ――その「むら」が消える?
  東京でも有数の湧水群を集め国分寺から世田谷・多摩川へ注ぐ野川が、原っぱの横を流れる。洪水対策として使われることのない遊水地が既に対岸に2つ、さらに原っぱを潰し第3の遊水地にするという。
  私たちは、自然を守ろうとするのではない。四季折々の美しい景観と安らぎを与えてくれたとしても、野川も原っぱも、既に変容された「自然」に過ぎない。私たちが生きる為には、それ以上にに、自由に呼吸でき、自由に表現できる場所が必要なのだ。
  原っぱの風は冷たく、温かく、爽やかで、かつ厳しい。今年もここで祭りをやる。

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