[BACK]
DATUMS 1993.10
基地が祭りの場になる日 嘉手納・アメリカフェスト

新城 和博  まぶい組代表・『ワンダー』編集長

■しんじょう かずひろ
 1963年沖縄島那覇市生まれ。そのままずっと那覇にいつづける。出版社ボーダーインク勤務。「まぶい組」という名前で、雑誌や本作りなどを本業として行う一方、島唄やブルース、一人芝居などを企画。今年10月末から11月にかけて『南風の宴』という大和へむけてのライブキャラバンを計画中。


  沖縄島、特に中部に住んでいるものにとってアメリカの独立記念日は、少なくとも日本の建国記念日はよりは、影響のある日だろう。7月4日前後の週末、カデナ・エア・ベースが開放されて、「カデナカーニバル」が行われるからだ。総面積20,071,953?の極東最大の米軍基地であるカデナ・エア・ベースに一般市民が入れるのは、「独立記念日は基地を開放して祝うのが伝統」だからである。
  この基地、沖縄島中部のどまんなかに位置して、北谷町、嘉手納町、沖縄市にまたがる実に邪悪なスペースなのであるが、沖縄が日本に復帰しても返還されず、ベトナム戦当時は、この基地から北爆のためのB52が飛立ち、冷戦終結後も、日本・アメリカよってたかって維持している日米安保の象徴のような基地である。その基地が開放され、本場アメリカのカーニバルが味わえるのだから、毎年凄い人出なのだ。まだ沖縄がアメリカ統治下だったころ(「アメリカ世(ゆ)」という)、アメリカはあこがれの存在であった。確かに反米、反基地闘争は島を挙げての運動であったが、一方で圧倒的に物量の豊かなアメリカンライフは、うちなーんちゅにとって、目の前に広がる「隣の芝生」であった。
  その頃のカーニバルは本当に楽しみだったと当時を知っている人は一様に言う。食べ物やお土産やゲームの出店(もちろんアメリカ人がやっている)、ロック、ジャズ、カントリーなどのライブ、全てアメリカそのもだった。ところがベトナム戦も泥沼のまま終わり、アメリカ自体がどんどん勢いをなくして、カーニバルも随分変わってしまった。出店も沖縄の業者が増え、昔のような豊かなアメリカの風景ではなくなったように思える。何故か基地の中では「円安ドル高」なのだけど。象徴的なのは、今年から祭りの名称が「アメリカフェスト」になったことだ。昔は「これがアメリカだ」という感じだったのが、基地のより安定した運用を目指して地域との融和を図ろうとよりコビタものとなったのだ。それに伴って滑走路の一本が一万台収容の駐車場となり、開催場所も沖縄市側から、嘉手納町側の海軍駐機場に移った。ところがそのために、付近住民から騒音や車の大渋滞などの苦情が続出することになった。なかなかアメリカの威厳は戻らない。
  沖縄人にとって「カデナ・カーニバル」の一番のイベントはやはり「フェンスの向こう側の基地に入る」ということなのである。本当は沖縄の土地なのだが、法的に、実質的に「沖縄ではない」場所に入るというインパクトである。とにかくその広さに唖然とするのだ。こんなに小さな島なのに、地平線があるのだから。
  かつて沖縄のイベントが少ない頃の花形であったカデナ・カーニバルは、いつのまにかそんな存在に変わろうとしている。でもそれはそれでいい。今はフェンスの要らない関係が求められているのだから。必然的に国際的にならざるをえない島「沖縄」も新たな国際関係の時代に入ったのである。

[BACK]