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DATUMS 1993.10
市民祭りの 老舗はエネルギー満杯 大阪・中之島まつり

竹村 徹  中之島まつり協会事務局長

■たけむら とおる
 1960年大阪府生まれ。古川工業(株)大阪支店に勤務。中之島まつりには、第15回(1986年)から、かかわる。今では、ハードな街づくりシンポジウムからソフトなジャズライブまで、月に一度のイベントに追いまくられている自称「不良サラリーマンの典型」。


  ゴールデンウィークも終盤の5月3、4、5日の三日間、大阪のど真ん中で市民の手作りによる「中之島まつり」が繰り広げられる。まつりの会場となるのは、大企業の本社や支社が立ち並ぶビジネス街に囲まれた「中之島公園」で、その名のとおり堂島川と土佐堀川にはさまれた東西約1.5キロ南北100メートルの細長い公園である。まつり期間中、お天気さえ良ければこの公園に、1日約15万人の人たちが訪れる。
  会場内を見ると、よしず小屋では素人名人による落語会、その隣では、日本へ仕事に来ている中南米の人たちが、テキーラ片手にサルサダンスのステップを踏んでいる。特設ステージの上では高校生バトン部やキャンペーン中の若手演歌歌手、ロックグル−プからジャズバンドまで多彩に出演。その他にも女子大生たちによる人形劇劇場、障害者作業場等の手作り品バザーや家庭のリサイクルショップなどが所狭しと会場内に並ぶ。お腹が空けば、大学生たちを中心とする実行委員会直営の飲食店が、露天商さんたちと軒を連ね、味で勝負する。ここでは、プロもアマチュアもなく、みんなが一人のしみんとして対等に責任を分担し参加している。
  このまつりは今から20年前、昭和48年の春に第1回、秋に第2回行った後、第3回からは5月の3、4、5日に固定し今年で22回を数える、まつりを始めるきっかけとなったのは、中之島公園に残る明治から大正時代に建てられた中央公開堂を始めとする名建築物群を、都市のランドマークとして保存しようという運動からであった。都市の中に残る「川と緑と赤煉瓦」の貴重な空間を、たくさんの人たちに知ってもらいたい、そうした考えから「中之島まつり」であるが。、今では、中央公開堂・府立図書館・日銀大阪支店の保存決定などの成果を踏まえ、単に建物の保存だけでなく「文化の市民運動」として、「都市の広場づくり」を合言葉にソフトな街づくりを展開している。
  こんな「中之島まつり」の作り手は、学生・サラリーマン・主婦・デザイナー・OL・フリター・社長さん・先生など、15歳ぐらいから70歳ぐらいまで職業も年齢も住んでいるところも全く違う人たちである。大スポンサーがいるわけでもなく、名プロデューサーがいるわけでもなく、資金集め・出演・交渉・会場設営から後片付けまで全て自分たちの手で行う。
  しかし、単にイベント開催を目的としているのではなく、大切なのは、そこに集う一人ひとりが個人の責任において、意見を述べ議論し選択してゆく過程であると考えている。そこには、時間と空間を越えた、祭りを媒介とした、新しいコミュニティが形づくられている。その中から生まれ育った市民(村民・町民・市民という意味ではなく)が、都市の中で生活することによって、地域のコミュニティが再生され、あらゆるところで、第二第三の「中之島まつり」が生まれる事を願っている。

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