[BACK]
DATUMS 1993.12
里山でオートキャンプを経営する

根本 健一  農家後継者

■ねもと けんいち
 1953年農家の長男として生まれる。筑波新都市開発勤務を経て、家督を後継。農家空間の活用や里山の活性化としてギャラリー、スタジオ、アトリエ、オートキャンプ場、市民農園等の開発運営をてがける。


  里山は、かつて農家にとって貴重な燃料の供給源であり、落葉や下草は有機肥料として欠かせないものであった。近代化・都市化とともに里山の役目も失せ、多くは将来の宅地利用を前提とする「未利用土地」として無管理の状態に置かれている。原生を善しとする意見もあるようであるが、農家の営みと共にあった里山は、やはり適度に管理された中に美しさがあると認識している。
  「適度の管理」を営みとして継続するためには、そこに果実の創出を仕組まねばならない。そんな背景から里山オートキャンプ場が生まれた。農家としての家督を引き継いだものの、家業は4半世紀前に転業しており、もっぱら農村の有形・無形の資源的・環境的価値に関心をもつ者としての試みでもあった。
  キャンプの対象としてはまだまだマイナーな平野部の農村にあって、既存の施設も取り立ててなく、キャンプ・ロケーションとして成り立つものか、類似の先例を調べると、関東圏でも例はわずかだった。しかし、整備にあたっての対象法令は少ない地域とみた。農地法や都市計画法など、この種の施設は行政の窓口の担当者の裁量に委ねる部分が大きいようである。事業としての性格を強調すると手続きはとたんに難しくなり、管理目的や農業、教育関連の中で施設整備を考えると比較的容易に許可の対象となることも知った。  キャンプと一口に言っても、今日、野生を好む層から宿泊施設として人的サービスや充実した施設を求める層まで、目的は多様で、どの層にニーズに応えるかによって、施設の整備水準や機能はまったく異なるものとなる。また、教育重視かレジャー重視かでも運営やスタッフ態勢に大きな違いがでる。我が里山キャンプ場は、当初、教育重視の路線をとった。環境教育専門の公益法人を誘致して現地に研究室を設け、前例の無い年間プログラムの実施を含む企画行事を組んだ。
  しかし、こうした企画行事をしりめに、やってきたのはほとんどが家族レジャーの一般キャンパーだった。都心から1時間というつくばの立地も要因であろう。昨今はアウトドアブームとしてメディアも煽った。その人たちのマナーの悪さを実は危惧したが、杞憂であった。実にほほえましいシーンが場内を包み、子供たちの歓声が、地域への好印象を呼んだ。
  以後、近くのおばあちゃんが、地取りの野菜を場内で売ることになり、栗生産農家は市場への出荷をやめてキャンプ場に収穫を委託し、あわせて観光農園化に理解を示してきた。畑地を市民農園として開放してくれた地主さんもいた。人と人との出会いもある。これらが地域での話題づくりにもつながり、前向きに地域を考える人もでてきた。現実として地域に人が訪ねてくることで、これまで潜在的なものであったことに光があてられることとなってくる。
  この状態がブームに終わるのか、一つのライフスタイルとして定着をみるのか、今はまだ私には見えない。しかし、そこに人の真心が投影されることで、キャンプを超えた、地域としての顔が育つものと信じている。加えて、環境教育は、プログラムの提供の前に、地域そのものが教材であったことを実感している。

[BACK]