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DATUMS 1993.03
「宇宙の森」からの国際交流

長谷川 時夫  ミティラー美術館館長

■はせがわ ときお
 1948年東京生まれ。21歳で前衛音楽グループ「タージ・マハール旅行団」を結成。1年にわたる欧州各地の演奏旅行から帰国後、新潟県十日町大池に移住。自給自足の生活をしつつ音楽活動や絵画制作を続け、子供たちを対象のフリースクールを開く。82年、ミティラー美術館開館。著書に『宇宙の森へようこそ』『宇宙感応』など多数。


  ミティラー美術館が開館して10周年になった。開館の時も今も、私を入れて3人のスタッフは変わらない。しかし、地方の国際交流を着実に推進してきたおかげで、日本全国津々浦々のネットワークや協力者の層は厚く、全国にわたる国際文化催事の発案、企画、実行等がそれなりな規模で容易になっている。
  日印国交樹立40周年記念公演として開催された「ダーガル家&ママタ・シャンカール舞踏団」全国公演は、その到達点を表している。各自治体の拠出金を総合すると3,500万程になる。ゆったりとした時間設定がされ、インド料理、舞踏、音楽教室、交流会、小中学生を含む交流イベントが実施され、結果として、自治体の別予算、職員動因、施設利用etc.えを考えると、公演経費は拠出金の3倍前後となっている。つまり1億円のイベントが辺境の地をも含む42の自治体を中心とする力によって実現された。しかも700万位の金額は、辺境の地に行くための交通費に使用され、当館に事務局があるポストインド際を考える会の主張である「国家イベントは全国民のものであるべき」という理念を具現することができた。
  現実はそんなに安易ではなく、学生も含む全国のボランティアの力によって、やっと成し遂げられたと言った方がいいかもしれない。面白かったのは、インドの人々にとっても日本をほんのわずかの情報によってイメージしている点で、地方文化の伝統的な芸能に触れることで日本観をかなり修正していいたことだ。
  ミティラー美術館を開館するきっかけは、東京から20年前にここの森に移って、自然・宇宙とのコミュニケーションを誌画、音楽等の手段によって深めるという生活をしているとき、市のレジャー的な開発計画が公表されたことによる。それに反対し、結果としてその案は消え、自然には手をつけない形で、廃校の小学校を市より借り受け、ミティラー美術館となった。館を取り囲む墨のような真っ暗な闇夜、心臓の鼓動が聞こえてくるような静寂、豪雪の雪が見せる人の存在を超える自然美、毎夜訪れる立体の月など、ここの森から広がる世界を「宇宙の森」と呼んでいる。当館は、宇宙に人が生きているという実感をもつことを体験する空間として位置づけている。ここの美術館の最大の展示物は「立体の月」と語るのもその故だ。
  当館とインド国立手工芸博物館(ニューデリー)で開催される「ガンガー・デーヴィー追悼展」第1回を、開館10周年記念としてミティラー美術館で開催することになった。インド国立手工芸博物館館長ジェーン博士の収蔵品も展示し、2年前に没したミティラー画の代表作家ガンガー・デーヴィーの冥福を祈り、偉業を偲ぼうという展示会である。1月28日という雪深い森で開会式か行われ、高円宮殿下ご夫妻、インド大使ご夫妻、他全国自治体の開催者、友人が集まり、館の10周年を祝してくれた。高円宮ご夫妻は、ここの森にある民家を改修した「月見亭」で宿泊され、宇宙の森を体験された。

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