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DATUMS 1993.03
過疎の村に咲く「かぎりなくやさしい花々」

関口 渉  東村立・富弘美術館館長

■せきぐち わたる
 1952年生まれ。76年東村役場に入庁。税務課、企画課、教育委員会を経て89年東村動揺ふるさと館館長となる。91年5月に富弘美術館が開館し、二つの館の館長を併任して現在にいたる。


  勢多郡東(あずま)むら(群馬県に東村は3つある)は、古くは足を銅山から江戸に銅を運ぶ街道「銅街道」と共に栄えた山村であったが、現在は石材業の他はこれといった産業のない人口約3千900人の過疎の村である。しかし、東村として誇れるものは偉人等を輩出していることである。「うさぎとかめ」「花咲爺」「金太郎」「大黒様」など多数の歌唱を作詞した石原和三郎や、日本鋼管創設者の工学博士今泉嘉一郎、そして水彩の誌画を通して生命の尊さ、やさしさを語りつづける星野富弘さんがいる。
  東村は「スポーツと動揺の里」をキャッチフレーズに文化の香り高い村づくりを目指し、スポーツ施設をはじめ諸々の施策を行ってきた。平成元年には国土庁のモデル事業により石原和三郎の資料展示を含め子どもから大人まで楽しめるようにと動揺ふるさと館がオープンし全国から注目を集めた。しかし、ユニークなイベントや展示を行い集客に努めているが思っているよりも来館者数は少ない。そして平成3年5月にふるさと創生資金を活用しての東村立富弘美術館がオープンした。
  富弘さんは全国に200万人のファンがいるといわれているが山深い東村の美術館にどのくらい来てくれるかは不安であった。普通、地方の美術館は年間3万人から5万人の来館者と言われている。しかし、富弘さんのファンの数から当初年間15万人来館者を予想していたのである。これは、過大評価と考えられたかもしれないが、私も富弘さんもこの数字は確信していたところであった。そして開館。たくさんの老若男女が連日押し掛け約3ヶ月で10万人、半年で20万人、1年半後の平成4年11月には50万人の来館者を迎えることができた。
  全国から個人はもとより若いカップル、家族連れ、外国人、学校や各種の団体、小学生から高齢者まで全年代層といってもいい人たちが来館している。なぜこれだけの人達がこの美術館を目指してやって来るのだろうか。近くに世界的な観光地日光があるからであろうか。いや、そうではないのである。この美術館に来る人達の8割はここに来ることを主目的にしている人達なのである。私なりに分析すれば、富弘さんの詩画は子供から大人まで一目見て分かりやすい事であろう。そして人間が忘れかけている心や自然を、また、人間の弱さや醜さなどをやさしく、鋭く人の心に訴える作品が強い感銘を与えるからなのであろう。
  この美術館にたくさんの人が来るようになって、村内の観光施設はもとより宿泊施設、飲食店、また渡良瀬渓谷鉄道や近隣市町村の観光施設等にかなり波及効果があるようである。東村では思いもよらず全国からのたくさんの来客によって、村内の交通の便や歩道の整備、観光案内が急務となってきている。群馬県もふるさと創生事業の目玉として美樹幹、東村に協力援助してくれている。

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