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DATUMS 1993.06
砂の思い出 大阪・りんくうタウンとアメニティ

塩野 功  (株)都市空間研究所社長

■■しおの いさお
 1941年生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科博士課程修了。都市計画。リゾート計画、まちづくり再開発などのコンサルタント。


  関西国際空港と「りんくうタウン」の計画が具体化しだしたころから、泉南(大阪湾岸南部)の各地区でウォーターフロントや町の再開発計画が盛んになり、とりあえずホテルとレジャー産業の誘致から建設が始まった。都市計画などの規制が多少緩かったためか、大阪から泉南にはいち早くホテルやマーケット、レストラン等が建設されたようだ。ついこの間まで同地域は臨海工業団地の薄黒い輪郭が見えるだけであったが、今、急激に変貌している。
  大阪に住む私にとって、泉南といえば「海辺のレストラン」を思い出す。ここ数年大阪湾を望むこのレストランで真っ赤な夕陽を見ながら妻と夕食をとるのが恒例となっている。その昔、妻との初デートの場所であったからである。と言っても30年前は、白砂の広がる静かな浜辺に立っていた。松林をバックにしたシャレたレストランであった。食事を済ませて波打ち際を裸足で散歩した。入道雲が夕陽に照らされ、まばゆいほどの縁どりを見せ、やがて夕陽は光る道を水面に投げかけ、そして暮れた。波にゆれる月に手を振りながら帰路についた記憶に楽しさだけが甦る。結婚後も何度か訪れたものだが、二人の子供もよせては返す波と戯れながら、珍しい貝殻や美しい石を集めるのを楽しみにしていた。返す波が足の裏をこそばしながら(くすぐりながら)砂を流し取っていく、あの感触はいまだに懐かしい。自然の懐での体験は永遠に忘れることはないであろう。
  時は流れ、子供達が中学進学を意識し出した頃から足が遠のきだした。日本も戦後という言葉を忘却しようとしていた頃である。産業振興のために埋め立てが進んだ。私のあの浜辺もかなり遅くまで生き残っていたようだが、今は埋め立てられて護岸に変わっていて残念に思う。
  今ここにあるレストランも華麗なサンセットが売りものであるが、デッキに吹く潮風は油くさい。豪華なヨットやクルーザーのシルエットも美しいのだが、今、二人の子供が幼ければ、どのような思い出を心に残すのだろうか。
  聞くところによると、リンクタウンも当初の計画よりも、実際の開発規模は大分小さくなっているとのことである。商業業務地区は北半分の着工メドは立っているが、南側地区はもう一度開発コンセプトから見直されるようである。バブルの崩壊も一因だろうが、要するに計画の中身が薄く、実際の需要が少なかった。だからりんくうタウンの土地が大分余ってくると言うことだろう。この際、あまり開発を急がずに、本当の需要が見えてくるまで時間をかけ、ゆっくりと良い物を作る考えに変えるべきだろうと思う。リンクタウンの全体の開発プランを見ると、水際線の殆どが人工海浜と緑地帯で構成されている。自然に手を触れ、肌で感じられる空間づくりが計画されていて、大変すばらしいことだと思う。これらの「自然づくり」こそ急いでもらいたいものだ。これからのウォーターフロント開発は、集客や経営を第一に考えず、地元の人々の故郷を大切にする心で建設してほしい。砂はもろく、汚れやすいが水(心)を清浄にするものだ。

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