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DATUMS 1993.07
公共騒音防止をのぞむ

呉 智英  評論家

■くれ ともふさ
 1946年生まれ。愛知県出身。早稲田大学法学部卒業。東京理科大学講師。マンガ、現代思想、知識人、マスコミなどを俎上にのせ、独特の視点から幅広い評論活動を展開。『封建主義、その理論と情熱』『バカにつける薬』『サルの正義』『知の収穫』など著書多数。


  駅の構内がここ一、ニ年で少し静かになった。構内放送を少なくしたらである。
  過剰な構内放送への批判は、外国人や海外生活経験者の間でずっと以前からあった。
  「何番線にどこ行きの電車が入ります」だの「足元にご注意ください」だの「車内は禁煙になっております」だの、まるで小学生を引率する先生である。これは意味のない公共騒音だ、というわけである。確かに、外国はおしなべて駅の構内放送が少ない。電車の発車予告の放送さえないことがある。ダイヤの通り正確に運行してくれるならそれでもいいが、そういう国に限ってしばしば不正確だ。こんな国ではむしろ構内放送を充実させるべきだろう。とはいえ、確かに日本の構内放送は過剰である。公共騒音だと批判されてもしかたがないし、これを改めて構内が静かになることはけっこうなことだ。
  しかし、公共騒音は構内放送だけのことではない。私が常々不快に思っている公共騒音がある。
  第一は、軽飛行機による宣伝騒音だ。
  これは、条例で規制されているのだろうか、東京では見かけない。講演会などに出席するため地方に出張すると、しばしばこれに出くわす。晴れた秋空を軽飛行機が巡回し、箪笥なら品質本位のなんとか家具店へと、スピーカーで宣伝しているのだ。実に不愉快である。私が地方での講演会を引き受ける理由の一つは、それを機会にこれまで知らなかった土地に行ってみたいからだ。別に名所旧跡がある必要はない。なんの特徴もない平凡な町でも、その町なりの風景があり生活がある。講演会の夜は一泊し、次の日に町をぶらぶら歩くのが楽しみである。そんな私の楽しみをぶち壊してくれるのが、飛行機による宣伝なのだ。空から降り注ぐ音だから、まるで機銃掃射、逃げ隠れすることもできない。だいたい、空から一日中、箪笥箪笥とわめきたてて、一体どれだけの箪笥が売れるのだろう。もともとその田舎町に一軒しかない箪笥屋は、町民の全員がよく知っているのだ。箪笥が必要なら、いやでもその店に行くはずである。
  第二は、商店街の宣伝とサービスのつもりの音楽放送である。
  これは地方にも東京にもある。駅前商店街の軒ごとにスピーカーを設置し、安っぽいポピュラー音楽に乗せて商店の宣伝を流す。一度商店街に足を踏み入れたら、もう逃げることはできない。どうせなじみの客しかいない商店街で、こんな宣伝をして顧客が拡大するはずがない。安っぽい音楽が朝から晩まで流れていることを喜ぶ人がいるとも思えない。 この種の公共騒音は、その気になれば今日からでも止められる。

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