[BACK]
DATUMS 1993.08
ジャパログ語辞典をつくろう!

松本 剛  翻訳家

■まつもと つよし
 1959年和歌山県生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。フィリピン人学生が日本での不法就労の経験を自ら記した『ぼくはいつも隠れていた』(レイ・ベントゥーラ著、草思社)を最近訳出した。他の訳書に『大地の贈りもの―地球の神秘と驚異』(岩波書店)『ダンス・ウィズ・ウルブス』(マイケル・ブレイク著)など


  「アリガト、シンカマス」「ドーモ、シンカンセン」何のことやらお分かりだろうか?いや、それより先に“ジャパログ語”なるものとはいったい何ぞや。普通の日本人なら十人が十人まで馴染みがないだろうけれど、これはれっきとした、今現在この日本の一画で使われている言葉なのだ。
  ただしそれが通じるのはたぶんせいぜい数百人、横浜寿町周辺に暮らす不法滞在のフィリピン人たちに限られる。日雇い労働者のドヤ街として知られるこの町に、十数年前からフィリピン人が多く住みつき、肉体労働をしながら一つのコミュニティをつくりあげてきた。そんな彼らが日本での暮らしに適応するうちに自然とできあがった言葉、それがフィリピンの公用語であるタガログ語に日本語がミックスされた、ジャパログというわけだ。 といっても彼らフィリピン人が日本語を取り入れるのは、どうも日本人を茶化してやろうとする意味合いのほうが強いらしい。ちなみに冒頭で紹介した最初の一文は日本語とタガログ語の組み合わせで「ありがとう、このオタンコナス」とでも訳せるだろうか。ただしあくまでもしおらしげに、日本人のサチョー(社長=仕事をくれる手配しや監督)に向かって頭を下げながらこう言うわけだ。その次の意味のない文も似たようなもので、お礼の気持ちとは正反対の意味である。当の日本人からすれば面白からぬ話かもしれないが、「閉鎖的」と評判のこの国で冷たい視線にさらされ、不法就労の身の上ゆえに不自由をかこっている彼らがこんな言葉をやりとりするのは、ストレス解消ばかりか、コミュニティの仲間意識を強めるのにも一役買っているのだろう。
  他にもたとえば、上役からバカと言われれば「オイシイ」とか「アイシテル」とか答え、荷下ろしの最中に仲間の頭の上に荷物が落ちてくれば「ゲンキカ?」と気づかい、言われたほうは「バッケロ」とやり返し、そしてフィリピンに帰って昔の仲間に会えば、日本での思い出に「チャン」づけで名前を呼びあったりもする。異常ともいえる生の現場にある彼らの、これは何とも生なましい息づかいのあふれる言葉だ。
  まちがってもその用例が広辞苑にのったり流行語大賞にとりあげられたりするはずはない。知らなければ知らないで何の不都合もあるわけではない。ただ、単に「良い美しい」日本語とも、マスメディアの押しつけともちがう、そんなあるふくらみを言葉というのはたしかに持ちうるものだし、そうした奇妙なアダ花を興味をもって眺めてみれば、たとえばフィリピ人不法労働者達の、メディアで語られるものからは抜け落ちてしまうような、本当の素顔がちらりとでものぞけるのじゃないか、そんな気がするのだ。

[BACK]