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DATUMS 1993.09
男に生まれた損を取り戻さねば

重川 治樹  ジャーナリスト

■しげかわ はるき
 1944年生まれ。早稲田大学大学院修士課程終了。1969年毎日新聞社入社、現在にいたる。1990年父子家庭経験から男性に生き方変更を呼びかける『シングル・ペアレント』(光雲社)を著す。


  「男性であることは大損だ」というと、きょとんとした表情が返ってくることが多い。私も離婚の結果として父子家庭を続け、自らの男性性を徹底的に相対化せざるを得ない経験がなかったら「男に生まれた損」に気づくことはなかったろう。
  「損」を分かりやすく説明するために、(1)生き方の損(2)働き方の損(3)女性との関わり方の損、と三つに大別してみよう。

  (1)は男意識=マッチョ性に支配されるところから始まる。男意識は、この世界を支配してきた男社会の論理で、社会の到る所に蔓延している。男性は幼少期から無意識のうちに、「社会を支えている偉い男は愚かな女子供を善導すべし」といった価値観を水や空気のように取り入れて血肉化してしまう。家父長制の名残りの時代錯誤の尾てい骨を、どの男性もぶら下げている。偉い男は勉強にスポーツに頑張らねばならない。女子供のように涙を流したり、のんびり、ぼけーは禁物だ。何しろ女子供を養って一家を立てなければならないのだから。子供の頃から、良い学校に入り、良い会社に就職して良い地位と良い収入を得るための競争に追い立てられる。そこで身に付けてしまうのは、他者を蹴落として自己の保身と栄達を図ることしか考えない徹底したエゴだ。効率至上の産業ロボット並みの無感動・無感覚を付け加えてもよい。また、そこで排除されるのは、広い意味での感性である。洗濯やアイロン、布団干し。食料の買い物に行き、調理して食べる喜び。掃除して家具の配置を考え、カーテンや敷物を調える快適さ。そうした日々の手仕事を通して繋がりが広がってゆく家族、地域での人の輪と助け合い、いたわり合い、共感。男性は幼少時から、「女子供の価値のない手仕事」と、そうした感性を養うのに一番大切な手仕事から切り離されてしまう。男性社会での根の深い女性差別に呻吟している女性たち、奇想天外、奔放で豊かな子供の世界、不自由さや死と孤独に向き合っている障害者や老人への想像力など望むべくもない。


  (2)あくことなき利益追求から発する大量生産、大量消費・浪費の結末の環境破壊もゴミの山もまじめに考えることの出来ない企業の論理は、結局、男社会の論理そのものだろう(パンク寸前の東京都の中央防波堤外側埋立場を一見すれば、どんなに想像力が欠如していてもいずれ来る地球の終末の光景と重ねあわさずにはいられないだろうが)。企業人だけではない。医者、弁護士などの自由業、教員、公務員でも同じことだ。働くことは人生の一部分で、家庭で地域で名刺や肩書とは無関係に他者との交流・共感する豊かな世界が開けているこを知らなければ、男性の人生も働き方も空しいだけだ。

  (3)職場で平然と女性差別をしセクハラまでする男性、感性が摩滅して他者への共感や想像力が欠如している男性が、連れ合いの女性と「うまくいく」方が不思議に思える。事実、「うまくいっていない」例が山ほどある。職場で家庭で「たかが女」などと女性を甘く見ていた男性の悲惨な末路は極めて日常的な光景になりつつある。

 「俺は男だ、男は女子供より偉い、黙って俺についてこい」式の「お疲れさま」はやめよう、男友達に言いたい。肩の力を抜いて自然体で、まず、最愛の女性と真正面から向き合って本物の絆を結び直すことから、生き方をリフレッシュしたいものだ。

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