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DATUMS 1994.10
なんだ・神田の町づくり

亀井 紀人  (株)久保工務店社長室長、神田学会世話役

■かめい みちひと
 1949年生まれ。中央大学文学部卒業。広告業を経て神田の総合建設会社である久保工務店へ。同社でタウン誌『KANDAルネッサンス』の編集発行に携わるほか、同出版部より『神田っ子昭和史』『神田宝さがし』等を出版。同社の社会貢献事業「神田学会」世話人を務める。


  昼間100万、夜間4万。これ何の数字かお判りですか。実は日本の、いや東京の中心地である千代田区の在勤者と住民人口なのです。この10年間の急激な都市化とそれに伴う地価の高騰は、住民達を永年住み慣れた町から追い出す状況を生み出しました。
  千代田区の中でも、歴史的にも下町文化の色合いの特に強い、人間臭い町「神田」。そんな町に、今年の5月、日本三大祭のひとつとして有名な「神田祭り」の2年に1度の大祭がやってきました。
  少なくなった住民だけではもう自慢の御輿はは上がらない。神社前までトラックで御輿を運び、宮入だけでも自分達で果たそうという笑うに笑えない案もでたようですが、ここで登場したのが正義の味方よろしく、昼間人口組である在勤者たちでありました。この町には働きに来るだけのサラリーマン、OL達に各町会から積極的に参加を呼びかけた結果、マスコミの支援もあってか、地元の沢山の在勤者から反応があり、彼らが加わったお陰で100基を越える御輿は無事上がり、神田まつりは成功裏に終えることができたのです。
  本来的に地域住民を主体とする「祭り」に、自分の住居を郊外に持つ在勤者が入り理屈も損得も抜きに住民と一体となった、御輿を担ぎ汗を拭って町内をねり歩く。この時こそ江戸時代からの伝統でしょうか、余所者を温かく迎える下町の風土が染付いた神田という町の素晴らしさを知るときでもあります。
  「祭り」という地縁をとおして知り合った人々は、以降当然町ですれちがっても、挨拶をするようになります。お付き合いが発展すれば、個人的な情報の交流も生まれます。
  私は社会学者ではありませんが、こういう事実を客観的に社会学の見地から捉えたらきっと日本でも、いや世界的にも珍しいコミュニティーの発芽であろうと思いますが、私は現在の都心部での「町づくり」の素地はこうやって作り上げていくのが理想的と考えます。 ここでの、いわゆるキーパーソンは在勤者です。一日のうち、いや一年のうちの膨大な時間を過ごさざるを得ない職場で、その所在地である地域とのかかわり合いを持てることは、その人に人生をきっと豊かなものにすることができるのではないか、そんな思いで「神田学会」は地元のメンバーを着実に増やし、今は残った住民と一緒になって神田に新たな住民を呼び戻すための研究をしています。
  そして神田では、在勤者も「在勤住民」という呼称があたりまえになるよう願っています。

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