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DATUMS 1994.10
10年間育てた『谷中・根津・千駄木』

山崎 範子  谷根千(やねせん)工房

■やまさき のりこ
 1957年埼玉県川口市生まれ。79年に千駄木に越す。84年、仲間4人と地域雑誌『谷中・根津・千駄木』創刊。以来40号を発行して現在に至る。


  地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を発行して、この秋で丸10年になった。
  通勤ラッシュに揺られていたのがある日から赤ん坊と二人で家に置き去りにされ、息苦しくて町に出る。それまで寝るためだけに帰ってきた町との出会いは、ここから始まった。
  涼しい風を探して乳母車を押したり、散歩ついでに店屋をのぞく。大根を八百屋で、秋刀魚を魚屋、味噌を乾物屋で買う。小さい頃にあたりまえであったことが、新鮮で楽しかった。また、私の住む文京区千駄木は、台東区、荒川区、北区が道一本で隣接する。文京区川の掲示板に東京ドームの催物案内、道を渡ると台東区で浅草公会堂スケジュールが貼られている。後楽園も浅草もアクセスが悪く行きづらい場所だが、道一本で「隣のことは知らないよ」的な行政分けの掲示が白々しく見えた。
  そんなこと谷中墓地にはリスがいるのか、ナルホド高村光太郎と智惠子は千駄木で暮らしたのだ、エーッ富士銀行根津支店にストリーキング現る、など、町の自然、歴史、事件に胸ときめかせる方が楽しい。当時、山口百恵さんの結婚生活や、ロス疑惑の話を、週刊誌や新聞・テレビで詳しく知っていても、近くの小学校に咲くみごとなノウゼンカズラの花を知っている人は少しだ。そんなことを不思議に思っていながら町をウロウロしているときに仲間できた。類は類を呼ぶとはこういうことなのだね。たまたま出版社で働いていたのが二人いて、町の雑誌を出そうという話で盛りあがり、4か月後に創刊した。
  当初、小さい子供を連れて町を歩き取材することで、ずい分得した。子どもは話のキッカケを作り、路地に入り込んでもあやしまれない。着替えやオムツをつっこんだ大きなカバンをさげて歩く姿が、初対面の緊張感を薄め、私たちが町の人に訝がられずに迎えられた理由のひとつだった。
  雑誌の7割が聞き書きである。残りが文献調べや情報、おたよりなどが載る。「お子さんは何人ですか?」なにげなくした質問に顔を伏せ目頭を抑える人があった。6にんのうち5人までを病気や戦争で失くしたという。人の歴史は町の歴史で、日本の歴史にも繋がる。気づかずに相手の傷に触れる愚を犯したり、1時間の話を400字にまとめるうちに話を取り違えてしまったこともある。取材した人に、明日また会ってしまうのが地域雑誌の楽しくも難しいところだと知った。
  8月に「円朝まつり」があった。10月には「谷中菊まつり」がある。町の人が作りあげたこうしたイベントも10年を迎える。それに触発されて台東区と文京区の行政区を越えた「下町まつりも数年前から始まった。
  文字どおり住んでいる町を知ることは、子どもにとって「ふるさと」の現風景を心に焼きつける作業にもなっている。」

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