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DATUMS 1994.11
日本流マルチメディアとは?

立川 幸治  (株)ドクターズ・オピニオン代表取締役

■たちかわ こうじ
 1958年生まれ。心臓専門医として7年間勤務したのち、米国の医療政策シンクタンク客員研究員を経て、90年ドクターズ・オピニオン設立。保険、情報処理、高齢者ビジネス、フィットネス、リゾート産業など様々な業界に対して医療関連事業企画、事前調査コンサルティングを行っている。


  私は、正真正銘のハイテクミーハ―。電子手帳が現れたとき、ノートブック型パソコンが初登場したとき、いずれも真っ先に飛びついた口だ。今も3代めのサブノートパソコンを駆使してこの原稿を書いている。
  こう書くとまるでコンピューターオタクのように誤解する方いるもしれないが、実は私はプログラムと聞くとアレルギーが出るタイプである。実際、データベースやスプレッドシート(表計算)をもっと自分風に使う(これをカスタマイズという)ためにかつてマクロというやつに挑戦したが、一発でうまく動いたためしがない。そのため最近では、自分の才能に見切りをつけ市販品の優れものをひたすら待つことにしている。結局、こんな私だからこそ、情報機器武装にはかなりうるさくなったともいえよう。ナマケモノ、「仕事は快適でなければつまらない」主義者の視点で便利な機械を探し続ける。これが私のハイテク批評家としての原点だ。
  さて、今や新聞紙面を飾らぬ日がない「マルチメディア」、「高度情報ネットワーク社会」。正直、私もひと頃その可能性に魅せられた一人だ。中身はさておき、とにかく「光ファイバーネット構想」やら「インターネット接続」など旗振りには事欠かないし、企業間の提携話も巷間を賑わせている。まさに行け行けゴーゴーだ。しかし、その反面、一部の記事や書物で、いわゆる批評家筋から従来の悲観論も提示されてきた。果たして、実は私も現状の延長線上に日本のマルチメディアの未来は描けないと危惧を抱き始めている。もっとはっきり言うと、ここ数年のプロジェクトはことごとく失敗するだろうとさえ思っている。
  なぜか。答えは、「ここではまだ早い。」つまりマルチメディアを待望する文化がこの地にはまだないからだ。今の日本には「マルチなメディアがない」し、「マルチな核となる人間もいない」。土壌も肥料もない土地でマルチメディアの種を植えようとしてもその花は決して咲かないだろう。
  どうやらマルチメディアを喧伝している官僚、そして業界人は未だに追いつけ追い越せの「メガコンペティション」風邪におかされて、物事の順序を間違えているようだ。
  マルチメディアとは何か、あえて私の理解を披露すると、それは、人生のオプション(選択肢<複数!>)を私たちが切り開くことをサポートしてくれる技術である。その骨格は誰もが認めるように、「ネットワークを通じたインタラクティブ(相互)性」であるが、この技術の応用は、使いたがるユーザーが現れ、自分流の生き方をする上での必要な機能、性能をあれこれ注文をつけていかなければ伸びていかない。この点で「これしかないから仕方がない」の一言で何もかもがすまされてきた現代日本のおきては発展の障害だ。
  といっても、この風土の何もかもが問題というわけではない。メモの文化をE-mailの世界とすると、マルチメディアの世界は、顔をみて、あるいは声を聞きながらのコミュニケーション。この点では日本人のメンタリティにはむしろ向いている。別にゆっくりだっていいではないか。大層なハードを待つまでもなくできる自分たちの文化の見直し、社会のあり方やこれからどう生きていくかの自問自答。こんなことから始めれば、きっとそのうち日本流のマルチメディアの発展にもつながる。これがマルチメディア1サポーターとしてのつぶやきだ。

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