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DATUMS 1994.3
旅館料理再考

岩崎 信也  フリーライター

■いわさき しんや
 1954年生まれ。主に食に関する分野と旅をテーマに、専門誌等に執筆。著書に『ホテル料理長列伝』など。


  どこか泊りがけで出かけるとき、その旅の楽しみの目玉として料理を挙げることに、大方の依存はないだろう。べつに温泉でなくても、わざわざ旅館に泊まるのであれば、料理への期待がふくらむのは当たり前のはなしである。もちろんそんなことは当の旅館が百も承知のようで、料理を売りものにする旅館がふえている。
  ただ、この料理を売りものにするというところで、いくつか気になる点がある。第一は、全国いたるところで「京風料理」ないしは「懐石料理」を謳った旅館が目立つことだ。これは料理店(レストラン)にも共通する現象だが、客にあらかじめ店の選択の幅があり、食べるためにだけ訪れる料理店と、旅の情緒を盛りあげる大事な要素として料理が位置づけられる旅館とでは、おのずとその意味も違ってくるはずだろう。
  もちろん京都以外の土地に、おいしい京料理を出す旅館があってもおかしくはない。温泉情緒と懐石料理が一度に味わえるというのも、忙しい現代人にとっては便利な仕掛けといえよう。しかし、実情がはたしてそういう具合になっているのかどうか。意地の悪い言い方をすれば、京風とか懐石という言葉に惑わされているだけで、客の満足にはあまりつながっていないことの方が多いのではないだろうか。
  ふたつめは、旅館料理は一般に、量や品数が多すぎるのではないか、ということだ。これはかなり以前から疑問に感じていたのだが、京風や懐石風が流行り始めてからというもの、ますます顕著になっていると思う。なるほど、少しずついろいろなものが食べたい、というニーズがあることは確かである。しかし、いろいろ食べたいのは、「おいしい料理」や「変わった料理」であって、たんに品数を揃えるためとしか思えないようなお仕着せ料理ではないはずだ。量にいたっては、まるで最初から残されることを想定していると断じたくなるほどである。つまり「食べきれない」ほどなければ御馳走ではない、とでもいわんばかりなのだが、もうそろそろ、そういう貧しい発想から頭を切り替える必要があるのではないか。客としても、あまり気持ちのいいものではあるまい。かりに無理して食べきれたとしても、時間をかけだけ味の劣化は進む。これでは満足とはほど遠い。
  また、郷土料理の軽視も目につく。田舎料理をそのまま出すのでは雰囲気に合わないというのなら、技術と工夫で洗練された一品に仕立てあげればよいことだ。京風などと謳うのであれば、なおさらである。
  どこへ行ってもマグロの刺身と天ぷらという、かつての旅館料理の枠から抜け出す旅館がふえてきたことは、利用者の一人としてけっこうなこととは思う。しかし、もはやいたずらに「高級化」の幻影に踊らされている時代ではないだろう。景気の低迷で経営環境の厳しい今こそ、料理を見直す絶好お機会なのではないか。

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