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DATUMS 1994.3
「外人ハウス」経営秘話

元藤 がら  「アサヒ・ドーム」経営

■もとふじ がら
 1966年東京生まれ。高校3年のときに、1年間交換留学生として渡米。アイオワ州の公立高校を卒業。帰国後日本の高校、大学を卒業する。1990年7月より、目黒区祐天寺にて、外人ハウス「アサヒ・ドーム」をオープン、現在にいたる。


  1990年7月に私たちの外人ハウス「アサヒ・ドーム」はスタートしました。建物は、日本語学校を開講する予定だった知人が、通学する外国人留学生の為にち借りたアパート。しかし行政の手続き上問題があり、学校はとうとう開校にいたりませんでした。建物は宙ぶらりん。そんな話を聞いていた私は、アメリカ人の友人が部屋を探していたのを思い出し、一部屋借りようと声をかけたのです。私は高校生の時にアメリカに留学し、日本での大学在学中、また卒業後も、ふらふらと海外を旅していました。そんなことから適任と思われたか、たった一部屋借りるつもりだった私に、外人ハウス経営、管理の話がきたのです。
  いよいよ「アサヒ・ドーム」をオープンすることになり、英字新聞に小さい記事を出したところで、入居希望者が次から次へとやってきました。貧乏旅行で海外を旅していた私は、長期滞在も可能な安宿の有り難みを知っていました。特に日本は宿泊費・家賃がとても高く、外国人旅行者・滞在者には頭を抱える問題だったはずです。「アサヒ・ドーム」は築20年以上の木造二階建てのアパートで、全部で10室。各々の部屋は四畳半のカーペット敷きで、小さいキチンがついています。トイレとシャワーは共同。部屋にはベッド・机・椅子・棚などの家具と、ベッドリネンを備えつけ、すぐに生活できるようにしました。二人でシェアすることもできます。
  今でこそ私も外人ハウス経営に慣れ、入居者も長期滞在が増えたので落ち着いてきましたが、最初の頃はいろいろと面白いエピソードもありました。
  オープンした夏にやってきたホンジュラスのラモス君。彼は14歳で、19歳のアメリカ人の友達と観光旅行で日本にきました。ものすごい巨体でしたが、明るく、愛敬のある男の子でした。一番困ったのがトイレ。私が最初にきちんと説明しなかったのがいけないのでしょうが、太り過ぎで、膝が下まで曲げられないのと、使い勝手がわからなかったので、何と大便を逆向きに、中腰のまましていたのです。お陰でしょっちゅうトイレ掃除をするはめになりました。ラモス君以外にも、シャワーから裸で部屋まで帰ったり、四畳半に長身の男性二人という人口密度と、日本の夏の蒸し暑さゆえに、ドアを開けて頭を廊下に出して寝ていたタンザニア人。彼らの特製タンザニアカレーはとてもおいしく、アパート中カレーパーティーになったこともありました。また、オーストラリア人女性の不倫相手の奥さんなどがどなりこんできて、当時若干25歳だった私が、日本人中年夫婦んの喧嘩の仲裁までしたことがあります。あのときいったい私は何と言ったのか、今でも不思議です。 この不況で、就労のため、あるいは日本語を勉強しに来る外国人も減少しているのかもしれませんが、それでもまだ外国人のための住居の需要と供給のバランスはとれていません。「国際化」と皆が口にするこの時代に、近所にやってきた肌の色や言葉や習慣の違う外国人のことを、少しでも理解しようとすることから始めてはどうでしょうか。もちろん「アサヒ・ドーム」の皆も「コンニチハ!」と元気に挨拶するようにがんばっています。

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