[BACK]
DATUMS 1994.06
データと人をつなぐ データベース・インターフェースの可能性

阿部 潔  東京大学社会情報研究所 助手

■あべ きよし
 1964年生まれ。1992年東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学後、東京大学社会情報研究所助手。コミュニケーション論専攻。論文に「奇妙な『神話』そもそも『テレビを視るとは何か』は語られてきたか」『imago』10.(1993)など。


  「知りたいこと」を知ろうとするとき私たちはどうするか。一番てっとり早くしかも見込みのある方法は「人に聞く」これである。勿論、相手が誰でもいい訳ではない。こちらが聞きたいことを「知っている」相手でなければ意味がない。例えば何処かに旅に出かけようとするとき、私たちは自分が行こうとする場所へ既に行ったことのある人にいろいろと聞いてみる。さらに言えば、そのような経験を持つ人が何人かいても全員に聞いて回るようなことはしない。自分との趣味の共通性や相手のセンスのよさを鋭く感知し「あの人なら」と相手を選んで聞いている。ヨーロッパの遺跡や旧蹟巡りをしたいと考える人は、持ちきれないほどのルイビトンの鞄を手に帰国した友人から、自分の旅行計画についての意味ある情報を得ようとは思わないだろう。このように考えると、人は非常に内容豊富なデータベースであるとともに、その「使い方」=「聞き方」を私たちは半ば直感的に知っていると言える。
  ところで、電子化された情報データベースは、情報量の多さで「人」を凌駕している。しかし、インターフェイスの点ではどうだろうか。インターフェイスとは、人と人とのコミュニケーションに対応する、機会と人間とのやり取りである。当たり前のことであるが、データベース利用の際に「人に聞く」時のようにことは進まない。コンピュータ端末の前に座った私達は、「見知らぬ人」であるデータベースに対面することになる。例えば、新聞検索データベースの場合ならば、検索対象とする紙名の選定、対象年月の選定、キーワードの指定といった具合に指令をしていくのであるが、目指すべき情報に必ずしも容易にたどり着けるわけではない。キーワード指定は便利な方法であるが、ともすると必要以上に網羅的な情報が集められてしまうことになりかねない。確かに、的確な指令をすることによって「見知らぬ人」が「聞くことの出来る人」になれば、データベースの便利さ・迅速さは計り知れぬものであろうが、そこに至る過程は決して容易ではない。要するにデータベースの場合、必要な情報を得るまでのインターフェイスが「人に聞く」時のように自然かつ直感的に行かないのだ。情報検索作業という点で、「人に聞く」こともデータベースにアクセスすることも同じである。しかし、友人・知人の「誰が知っているのか」を直感的に知っていることと、巨大なデータベースの「何処に知りたい情報があるのか」うぃ認識することとの間には大きな隔たりがあるように思われる。
  現在「エージェント」の発想のもとに開発が進められている通信ソフト(そこでは自分が欲しい情報が何処にあるのかをエージェントが見つけ出してくれる)は、データベース・インターフェイスとより「人間に近いもの」に改善しようとする試みとして大変に興味深い。それはあたかも、どこに必要な情報があるのかを知らせてくれる「情報通な友人」を人間とデータベースとの間に介在させるようなインターフェイス・システムと言えるだろう。 ともあれ、このようにインターフェイスの点からデータベースの可能性に想いを巡らしてみると、私たちが日常的に人と交わしているコミュニケーションは思いのほか「巧くいっている」とも言えるのではないだろうか。

[BACK]