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DATUMS 1994.07
寿から見えてくるもの

村田 由夫  寿福祉センター

■むらた よしお
 1943年生まれ。1968年寿福祉センター相談員として勤務。主にアルコール依存者の相談に関わり現在に至る。


  日本の三大ドヤ街の一つといわれる横浜の「寿ドヤ街」には、日雇労働者とその家族、約6,500人が住む。寿ドヤ街は、横浜の業務地域・商業地域の中心に位置している。
  長びく不況の中で「野宿」する人が増えている。その多くは繁華な中心部に見られる。人(社会)は、「野宿」する姿に浮浪者、乞食と呼んだり、汚い人、怠け者、人格的に欠陥のあるものと蔑んでいる。「働かないで食べていかれて気楽でいいよな」とも言う。
  働くことが当たり前と思い、まだ苦役だと思っている人からすれば、気楽にと言いたくなるのかもしない。だが、「野宿」はそんなに気楽にできるもではないだろう。「野宿」を生きる根底には、一人ひとりの生き方、感じ方があるだろうと察する。
  寿ドヤ街に「カジリヤ」さんと呼ばれる少数の人たちがいる。「今、これこれの理由で困っている。助けてください。生活費として何千円を貸して下さい」と人に擦り寄り、なにがしかの成果を得るまでその人から離れないのである。私も相談で何度か食い下がられて、最後には口論となり後味悪く別れたことがある。
  ある日、街のなかでくだんのカジリヤサさんを見かけた。腕を組み怖い顔をしてうつむきながら歩いている姿に声をかけそびれて見送ってしまった。その時ハッと感ずるものがあった。私は、限られた労働時間の中、組織の枠の中で生きている。彼は生きるために24時間考えて(働いて)いるのではないかと思ったのである。それが彼にとっては辛かろうが辛くなかろうが、生きることなのかもしれない。彼の口つく物語は、そんな中から生みだされる「生活芸」とも言えるものだろう。彼がいつか再び来て、出来のよい物語を語ってくれたなら、その「芸」に対しいくらかの支払いをしようと思った。そう思えたら私はとても気持ちが楽になれた。
  「働くこと」にとらわれた私たちは、働くほどにとらわれを深め、働くことが疑いもなく正義と思い、働くことに心や魂を奪われて人間関係を歪め、社会を歪めていることに気づかなくなっている。それは、健康にとらわれた社会が、病気を克服や排除の対象にし、恐れやいたわりを忘れ、何らかの病気を持って生きていくことが当たり前の人生であることを忘れ去っていることに似ている。「働くこと」に疑いを持てなくなってしまった人間の方が、「野宿」を暮らす人よりはるかに危険な位置にいると思える。
  「働くこと」は、人が生き、生活する一部ではないかと思うこのごろである。

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