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DATUMS 1994.08
古水車「しんぐるま」を保存する

四宮 康男  「みたか水車クラブ」メンバー・(株)東邦政策所勤務

■しのみや やすお
 北海道富良野市生まれ。電気機械メーカー社員として技術畑を歩む。古水車保存とまちづくりを考える「みたか水車クラブ」のメンバー。技術担当として、1/2水車模型設計・製作を始め、活発に活動。


  三鷹市大沢に残る「しんぐるま」の創設は1808年頃。直径4.8m、幅97?の水輪、四斗張りの杵と搗臼12組、ニ斗張に杵と搗臼2組、挽臼2台、やっこ篩(ふるい)1台、せり上げ、大小19個の万力と呼ばれる木製の歯車がある。1919年に改修され、武蔵野にかつて多くあった水車のなか、唯一現在までほぼ完全な形で残っているものだ。野川の上流に「大車」という水車があり新しく作った水車なので「しんぐるま」という「ニックネーム」がついたという。
  三鷹で代々製粉業を営む峯岸家の八代目、峯岸清氏(現在83歳)は米や麦を搗き粉にするのに使用していたしんぐるまを、機械製粉に切り替えたあとも、愛着と強い意志によって修理を続け現在まで保存し市民に公開してきた。三鷹市は1958年の文化財に指定し価値を認めてきた。
  私は89年、まちづくりを考える勉強会の活動の一環でたまたまこの水車に出会い、とりこになってしまった。三鷹市で市民活動を続けている宮川さんを中心に仲間が集い、長く保存したいと思い、まず毎月一度の水車の掃除を始めた。その後できるだけ多くの市民にしんぐるまのすばらしさを知って欲しいと「みたか水車クラブ」をつくり、仲間を増やし現在にいたっている。
  仲間で集まって夢を語ってきた。『気刊しんぐるま』(気のむいたときに発行する)の発行、「みたか水車大学校」「みたか我が街探検パーティー」「三鷹産の新蕎麦を食べる会」「ビデオ製作」「模型製作」などを多くの方の協力を得て行ってきた。この活動の中で水車が人の生活と自然とどのように関わってきたのかを知った。
  今年6月、持主である峯岸氏の寄贈を受けて、水車は市が保存するところとなった。私たちの夢の一部が実現の方向に動き出した。
  水を引き、水車をもとのように動かす。水車博物館とし、米や麦を搗き、粉を挽き、団子、柏餅、うどん、蕎麦、クッキーなど何でも作って市民のゆっくり休める場所にする。多くの人の参加を得る。川向こうには山葵田、蛍の郷、水性花園、さらに三鷹で最後の水田がある。水車を中心に水に関するエリアとして条件は整っている。
  「しんぐるま」を水で回すには、野川の水を増やす必要があり、自然が相手で実現は大変難しい。しかし、もしそうなれば、川の生物だちも元のようになるだろう。
  もう一つ重要な事に、水車を維持管理する技術、「水車大工」と「水車男」の養成がある。形あるものは壊れる、これを修理し、管理していかなければ動かすことはできない。
  『峯岸清記念水車博物館』と「夢」の博物館の名前も決めた。木と木をいじるのが好きで「しんぐるま」に出会い、良い仲間に恵まれ大きな夢を持ちながら楽しく活動を続けてきた。この夢という代物がとにかく大事だと思うし、実現しようと思うことだ。

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