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DATUMS 1994.9
空に魅せられた人々

堀田 陽一  明治生命保険相互会社

■ほりた よういち
 1965年神奈川県生まれ。1990年慶應義塾大学経済学部卒業。大学入学と同時に始めたハンググライダーが、旅行(現在12か国)、料理(和食を除く)とあわせた三大趣味を一度に楽しめるものであることに気づき、現在も継続。サラリーマンとして時間の制約に悩みつつ、飛びに行くのか土地を楽しむのかよくわからないフライトを続けている。


  空を飛ぶことの魅力、あるいは飛べるようになることの魅力は、そのまま感動という言葉に置き換えてもいい。フライトをしたそれぞれの日に応じた幾種類もの感動が、フライヤーの数だけ、上達の段階のそれぞれに存在する。
  山飛びに憧れ、翼長10m弱・重量30kg弱の機体を担ぎ、とにかくバランスを崩さぬようひたすら繰り返し走っていたあるとき、突然機体がぐーっと持ち上がり、走り続けようとする足が地面に届かず空回りをした、忘れ得ぬ原体験。高々度初飛行、思い切り斜面を駆け抜け足が宙を蹴った瞬間、機体が自分を支えてすーっと滑り始め、言葉通りの滑空が始まる。5回飛び、10回飛び、やっと出会った上昇気流を捉えて挑む初めてのソアリング。自分の飛び出した場所が自分より下に見え、テイクオフを励ましてくれた人が自分の機体を運んでくれた車が、ぐんぐん小さくなってゆく。高度が山の尾根を越え、視界を遮っていた山並みの向こうに限りない景色が、新しい世界が広がる。距離飛行への誘惑。より高く、より遠くへ。地形を読み、風を読み、試行錯誤と駆け引きを重ね、新しい風景に近付く旅。しかし自然と競うだけが醍醐味ではない。夕方の凪にぼーっと心を遊ばせるのもまた至福のひととき。コントロールバーから手を放し、機体の望むままどこまででも飛んで行けそうな気がする。緩と急、その両面を自在に楽しめる懐の深さに、感動もまた回を重ね飛びを重ねて広がり、深まるのである。
  自由あるいは社会的小逃避の魅力もまたハングの魅力一部である。サラリーマン諸氏も亭主諸兄も、ここでは皆自らの主人として束の間の自由を取り戻すことが出来る。ひとたび大地を蹴って風に身を任せたら、頼れるものは神と自然と自分だけ。自然を畏敬しいかにその懐に抱かれるか、絞った知恵は自らの飛びに結実する。しかし自然を侮り自らを過信すれば、ツケもまたその身に降り懸かる。ただ、ひとたび何かが起きると、休日を使いお金を使って、山に来ている身も知らぬフライヤーが、自分のフライトを諦めてでも助けてくれる。ハングは個人のスポーツだが、一人では出来ないスポーツである。いや、むしろ個人スポーツだからこそ一人では出来ない、という表現の方が適切であろうか。
  自由の魅力は、結局それを許し、支える人の魅力である。見知らぬフライヤー同士が空だよというだけで気心が知れてしまう共感、そして寛容がある。テイクオフに遊びにくる地元のおじさんの、珍しげに機体を覗き込む遠慮がちな顔には、「まだ飛ばないのかな」と書いてある。不測のアウトランディングで降り立った田畑の持主はお詫びの一升瓶を受け取ろうともせず、フライヤーの無事を喜び、フライトをねぎらってくれさえもする。
  付かず、離れず、関心は持つが干渉はしない。その関心の距離が心地よい。独立自尊ながら唯我独尊では成り立たぬ奥深さ、自らの責任で未知へと進むことの出来る探検と発見の連続、そして毎回表情を変える感動の豊かさ、それらに惹かれ、懲りずにまた行ってしまうのである。例えば風が悪く飛べなくても、そこに行けば空というコミュニティーと、それを越えたコミュニケーションがあるのだから。

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