[BACK]
DATUMS 1994.9
空港とまちの関係

岡 並木  武蔵野女子大学教授

■おか なみき
 朝日新聞編集委員、静岡県立大学教授などを経て現職。主な著書に『都市と交通』『舗道と下水道の文化』『駅・再発見の旅』ほか。専門は比較都市史、人間の移動史。


  この雑誌がでる頃には、関西新空港が開業している。世界一高い着陸料に各国の航空会社からクレームが出ていたが、それも成田なみということで折り合いがついた。
  しかし現代の世界の大空港として異例なのは、滑走路一本でのスタートである。あと一本の平行滑走路は第2期工事の予定だが、工事費のメドがまったく立たず、極めて悲観的な状況にある。
  1970年5月、東京で世界空港シンポジウムが開かれた。各国代表の発言はいずれも、空港と市民の悪化した関係に触れた。「空港は欲しいが、そばには来てほしくないと市民は思っている「空港はかつて市民によって誇りとされてた資産だが、いまは都市の悪と非難されている」」「都市化は空港の成長にひとつの効果があると同時に、空港の働きを抑制する」各国のこういう実態を、代表たちは報告した。
  また代表たちは「58年にジェット時代が始まったとき、空港当局、航空会社、航空機メーカーは、すべて大きな間違いを下。エンジンの騒音が周辺の住民に与える影響を無視した点である」と発言した。
  関西新空港が、海岸から4キロ沖合いにつくられたのも、このようなジェット時代の宿命であった。
  ところが空港の建設決定と同時に動き出したのが、海を挟んで空港に向き合う大阪南部地域の工業、商業施設の開発計画だった。そのころ新しい熊本や大分空港の周辺に、技術先端産業が進出した。空港と産業との新しい関わりあい方として、関係者の関心を集めたのは事実だ。だがその後のバブル経済の破綻で、関西新空港の場合は企業進出の前途に黄信号が点滅している。
  しかしせかいには、このような便乗開発とはまったく逆の方向を探っている町もある。 92年ドイツ・ミュンヘンの北北東30キロにミュンヘン第2空港が開業した。1,500ヘクタールという広さは、関西新空港が第2期まで完成しても敵わない大きさだ。
  空港の北5キロの小高い丘の上に人口5万のまち、11世紀以来のフライジングがある。この町は69年空港建設が決まって以来、建設反対運動の中心の役を果たしてきた。
  しかし6千件近い訴訟の結果、85年に建設が始まると、町は、空港開業に煽られる開発で、住みやすい環境を壊されないようにと、独自の都市計画に取り組んだ。
  たとえば新空港ができるとカーゴやトラック会社が、空港近くに施設をつくって周辺の環境を壊す。あるいは空港の近くに関連の企業のオフィスや、移住する人々のための住居が増えて、緑の丘に広がるフライジングの町の姿を、それらが隠してしまう心配がある。それを防ぐための計画だった。となりの町とも協力のもとに滑走路をさんっぽうから80ヘクタールのグリーンベルトで囲み自転車と歩道を走らせるプロジェクト、国際コンペの結果にもとづき景観を守る形で新しい商業・住宅地区を建設するプロジェクトなどが進行中である。
  さる6月下旬、成田空港の反対同盟熱田派のメンバー約30人が、ミュンヘン新空港が生まれるまでのいきさつの調査に出かけた。一行もフライジングの考える空港周辺の町の在り方に感銘を受けたという。今後の成田空港の周辺計画に、一行の経験がどう活かされるか、楽しみである。

[BACK]