[BACK]
DATUMS 1995.12
阪神大震災とオリックスの間

奥野 卓司  甲南大学文学部教授

■おくの たくじ
 1950年京都市生まれ。京都工芸繊維大学大学院終了。情報人類学専攻。イリノイ大学人類学部客員準教授、甲南大学文学部助教授などを経て、94年から同学部教授、電子計算センター参与。主な著書に『情報人類学』『パソコン少年のコスモロジー』など。勤務先の甲南大学は神戸市東灘区にあり、震災で大変な被害を受け、避難所にもなった。


  20世紀のラストディケードも半ば、昨年の今頃には夢にも思わなかったことが、今年起こった。こう書いて、次に何を思い浮かべるかは、この空間性の不確かな情報社会にあっても、なおかなり地域差があるだろう。それがオウム事件なら阪神の方ではないと断言できる。
 阪神間に住む方々にとって、震災復興をオリックスの優勝に象徴できる人間はごく一部である。何とか元気に見せたいというマスコミの思惑はあっても、それをまともに受けとれるのは、よほど野球が好きでなければ、関西外の人だけだろう。
  今、被災地でもっとも話題にのぼっているのは、土地の権利についての様々な複雑な混乱であり、子供のショックが沈潜している問題である。低下層の人々だけが困っているのではなく、かつては裕福だった在日韓国人の自営業者が、自宅も商売の糧も失い、生活再建の道をたたれている。
  神戸の大企業も含め、中小、弱小企業では今年のボーナスがまともに支払われたものはない。企業も公式の被害額にのぼらない損出が予想以上に大きく、まともな給与さえ、払いたくとも払えないという現実がある。ボーナスを年間給与の内として生活している日本のサラリーマンの実状からすれば、避難所から出るに出られない高齢者、障害者とともに、程度の差こそあれ、一般サラリーマンもまた被災者だ。
  地震は1月17日。しかし「震災」は(地震がもとで起こる様々な天災、人災という意味で)今もまだ「現在」だ。神戸市は5500人という死者数をかたくなに守ろうとし、その「数字」を守るために、市役所からリストラを苦にした自殺者が出ている。さらにこれから本当に大量の失業者が出るだろう。
  では、今、神戸、阪神を語るとき、明るく語れないのだろうか。このような現実を前にすると、ぼくのような被災地に住まず、かといって阪神とのかかわりから逃げようのない、中途半端な人間にはそうだとしか言えない。芦屋の芸術家や建築家の中から、芦屋川付近に震災で生じたガレキでモニュメントをつくろうとする提案がなされている。徐々に整理されていく都市に、広島の原爆ドームのように、震災の「廃墟」の記憶をとどめておこうとするためだ。が、これに喜んで飛びついたのは、東京のマスコミのみ。地元の大多数の住民にはやはり反発をかっている。被災地の住民にとって、大量のガレキと埃は、見たくもないものだ。大事にしていたものが地震で壊れたあと、そのガレキを見たくはないが捨てられないので、自分の住んでいた土地に埋めた人が多い。あと何十年かすれば、その人はその埋められたガレキを掘り出してみたくなる時がきっとくるだろう。そして、その時には、巨大なガレキのモニュメントをつくっておけばよかったと思うかも知れない。今年、日本列島の西と東で起こった二つの出来事は、次の世紀へと続くカタストロフィの予兆として、それぞれにこのようなアンビバレンツな感情を引き起こしている。だから、被災者とイチローとの間は、残念ながら、まだはるかに遠い。

[BACK]