[BACK]
DATUMS 1995.01
旅行は癒しと和解のメディア

奥野 卓司  甲南大学文学部教授

■おくの たくじ
 1950年生まれ。京都工芸繊維大学大学院終了。情報人類学専攻。イリノイ大学人類学部客員準教授、甲南大学文学部助教授を経て、94年から同学部教授、電子計算センター参与。主な著書に『情報人類学』(ジャストシステム)『パソコン少年のコスモロジー』(筑摩書房)など。


  本年度のノーベル文学賞を受賞した大江健三郎さんは、その記念講演の最後を次のように結んだ。「20世紀がテクノロジーと交通の発展のうちに積み重ねた被害を、鈍痛で受けとめ、人類全体の癒しと和解に、どのような貢献がなしうるかを探りたいと思う」と。
  ぼくは大江さんのいう平和主義と民主主義をつよく支持するが、この言葉だけは同意できない。20世紀はたしかに交通と通信のテクノロジーの時代であった。だが、それが人類に災いを与える一方であったかというと、けっしてそうではないからだ。
  今世紀に、地球規模で、ふつうの人々が世界を旅行しだした理由のひとつは、大型航空機をはじめとする、さまざまな交通テクノロジーの発達にあった。テクノロジーによって、人類は、国家のレベルではなく、大衆のレベルで和解の道を探りはじめることができたわけだ。また「遠くまでいく」ことによって、自分自身が癒された人々もいる(少なくともぼくはそうだ)。
  人間にとって観光や旅行が意味のないことという考えは、過ぎ去った工業時代のものだ。にもかかわらず知識人の中には未だに、遊びや娯楽は文化とみない傾向があるのは、彼らが西欧近代主義の呪縛から自由ではない証拠だろう。観光産業は、軍事産業と異なり、世界が平和であってこそ、成立する。ふつうの人々が他国を自由に行きかえることは、それ自身、お互いの異文化を認めあうことに通じる。
  一方、衛星や光ケーブルをはじめとする通信メディアの発達は、東側と西側、北と南の国々の国境を越えて、地球上の人々が共通の情報を共有するという条件をもたらした。このことが、結果として、冷戦構造の解体につながったことは、まだ記憶に新しいはずだ。しかも、それが欧米からの一方通行の情報だったのは、もはや昔のことで、今では南の民族がワールド・ミュージックとして、世界の衛星テレビ受信者を癒している。
  大江さんのノーベル賞受賞自体も、メディアテクノロジーのこのような発達を背景にしているのではなかろうか。アジアやアフリカの文学が、ようやく欧米の人々にまともに評価されるようになってきたことに、コンピュータを媒介とした地球規模での通信技術や印刷技術の普及、発達が無関係ではないと思う。
  もちろん、ここまで拡張してしまったテクノロジーは、これまでつねに人間に有益ということはなかった。とくに20世紀中には、テクノロジーが戦争や生産効率化のための道具として、大いに使われ、人間を痛めつけてもきた。だが、その世紀末にそれらの無意味さに行きついてしまった人類は、21世紀のテクノロジーの目標を遊びと癒しと学びに、向け始めている。観光というテクノロジーの時代なのだ。
  近未来には、地球の情報遊牧民たちが、インターネットから国境を越えて、世界の果てまで遊動しはじめるにちがいない。

[BACK]