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DATUMS 1995.03
自然との「共生の回路」求められうる余暇

渡会 由美  (財)余暇開発センター研究開発部研究員

■わたらい ゆみ
 1961年生まれ。1984年上智大学文学部フランス文学科卒業。(財)余暇開発センター研究員。おもに河川をフィールドに、環境と余暇の関わりを調査・研究中。昨年、2日間にわたる集中公開セミナー「ひとはなぜ自然を求めるのか」を企画製作。


  ひとはなぜ、自然に魅きつけられるのでしょうか。ひとにとって、いったい自然とは何でしょうか。美しい自然の風景に接しておのずろ心が和むことは、多くの人の経験するところです。樹々の滴るような緑、清らかな川のせせらぎ、小鳥の鳴き声は、心身に安らぎを与えリフレッシュさせてくれます。都会で忙しく働く人たちにとっては、ときとしてかつて経験したような記憶が甦るだけでも憩いを感じ、活力を取り戻すよすがとなります。 自由な時間を手にしたとき、自然の懐で過ごしたいと願う人が多くなっています。それは逆にいえば、私たちの日ごろの環境があまりにも人工的で住みにくくなっているからではないでしょうか。そこで私たちは余暇の場を自然の中に求めることになります。アウトドアレジャーの広がりやリゾート志向はそのひとつの現れと言えましょう。余暇はいまや人が自然と交わるための重要な役割を担っています。しかしその肝心な自然の実態はどうでしょう。私たちが心に描き求めるような本然の自然は日々損なわれつつあり、皮肉なことに、余暇の場をつくることによって逆に自然を破壊するという現象も起こっています。 ところで一方では、ことさら自然を求めない人、あるいは自然は嫌いという子どもたちも現れています。苫小牧で都市森林を守り育てている石城謙吉氏は、小学校の先生から「明日そちらに遠足に行くので、蜂の巣や毒草がないよう見回っておいてほしい」とたのまれた話を伝えています。こようなことは、むしろ人が人工空間に慣らされてしまった病的な現象と捉えられないでしょうか。自然には恵みの反面、危険がつきもの。これとの付き合い方を知ることが不可欠であり、また楽しさでもあるでしょう。自然の喪失は、もともと自然の一部である人間の生理や心理、生き方に、無視しえない影響を与えているのです。
  スペインの思想家オルテガは、80年前にこう言っています。「私とは、私の環境である。私がもし私の環境を救わなければ、私自身は救われないことになる」―彼は、環境を外界としてでなく、自分の半身として捉えていたのです。人はこれまで自然を無限のものとして利用してきましたが、生産や生活において環境との調和が求められる実情において、余暇行動もまた自然環境との間に秩序が求められています。これからの余暇やレジャーは、たんに消費的遊興的なものにとどまらず、環境の認識や保全も取り込まなければならないでしょう。余暇はいま、自然環境との共生の回路をどのように設定すべきか問われているのです。余暇の場としての自然環境もこれなしには保てないのであり、豊かな余暇も実現しないでしょう。そのための生活原理や余暇のビジョンを模索することが、必要となってきたのではないでしょうか。

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