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DATUMS 1995.04
国連大学20年

相良 憲昭  国際連合大学学長補佐

■さがら のりあき
 1943年東京生まれ。東京大学文学部卒業。ユネスコ本部社会科学局庶務課長、埼玉大学大学院助教授、国連大学事務局長等を歴任し現職。専門は国際教育。


  今年は国連創設50周年にあたる。じつは国連大学も20周年を迎えるのであるが、そのことはおろか国連大学そのもを知る人も残念ながら多くはない。国連大学の知名度は2年半前に東京青山に建設された本部施設のおかげで、かなり高まった。敷地は東京都、丹下健三郎氏設計の建物は日本政府から、それぞれ無償で提供された。今では東京のタクシー運転手さんの10人7人は、場所を説明しなくてもちゃんと連れてきてくれる。
  国連大学は人類の生存や福祉、発展に関わる緊急な地球的諸課題の解決を目指して、研究や後期大学院レベル以上の教育を行うために1973年に国連総会が設立を決定した。設立までの複雑な経緯の結果、「大学」というタイトルを有しながら実体は研究機関として誕生した。だから通常の大学のようにキャンパスもなければ、教授や学生も存在しないのである。
  1969年に国連大学構想が打ち出されるやいなや、日本はその設立を強力に支持したのみならず、官民を挙げて本部誘致に積極的に乗りだした。日本政府は施設の無償提供や大学基金への拠出を申し出て、最終的に国連大学本部が東京首都圏に置かれることが決まった。こうして国連大学は日本に本部を有する唯一の国連機関として、1975年に産声をあげたのである。
  日本が国連大学を誘致した理由はいくつか考えられる。時は大学紛争の直後で、既存の大学のあり方にはさまざまな批判が寄せられており、いわば理想型としての大学を渇望する声が高かったこと、1970年にOECD対日教育調査団が日本の大学の閉鎖性を指摘し、国際性をもたせるように勧告したなどが挙げられようが、高度成長の波に乗って裕福になった日本が、国連機関の本部の一つでも持ちたいという動機もなくはなかっただろう。
  しかし、創設や誘致に関わった人たちの期待どおりに、国連大学が育ってきたかどうかは、いささか疑問である。慢性的財政難にあえぐ国連大学は、栄養失調のまま20歳になってしまった部分がなくはない。研究成果は途上国には役立つものが多いが、先進国の関心はあまり引かない。だから日本やアメリカでは、国連大学が何をやっているか今一つわからないという批判が多く聞かれる。しかし、大学の評価は20年や30年の単位で定まるものではなかろう。パリ大学は700年の歴史を持つ。世界の主要大学としては比較的新しい東京大学ですら、開学から約120年を経ている。国連大学も、創設50周年、あるいは100周年を盛大に祝っていただくことを期待しつつ、活動を続けてゆきたいものである。

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