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DATUMS 1995.06
「協力」への収穫

楠原 健一  元青年海外協力隊村落開発普及員(西サモア)

■くすはら けんいち
 1992年3月、東京大学農学部農業経済学科卒業。同年7月、青年海外協力隊・村落開発普及員として西サモアに派遣される。1994年8月帰国。1995年4月、熊本大学医学部入学。現在27歳。


  南太平洋、日付変更線の少し向こう、横綱曙のように巨大な人々が、タロイモとバナナと椰子の実を食べながら陽気に暮らす西サモアという国があり、その最も僻地に人口500人のアオボ村がある。この村で2年間、私は青年海外協力隊の村落開発普及員として働いた。
  立地条件の悪さから、村は百年来の水不足に悩まされていた。これが私の課題である。村人の参加を目標にして、水タンク計画を立案した。そうして、2年の間に45基の20トン入りの水タンクが出来上がった。
  実はアオボ村でも雨季には雨が降る。これをうまく貯めて、通年給水できるようにしたのがこの計画である。タンク作りには人手を十分活かした。タンクの構造は単純でメンテナンスも自分たちでできるはず。目標は達成されただろうか。
  この4月にはタンクが完成して2度目の乾季が来る。先日の、たまさかの村からの手紙には頼もしいことが書いてあった。「今年もちゃんと洗濯も水浴びもできそうだ」と。
  さて、この仕事を通じて、私は村よりマタイの地位を授けられた。訳せば「酋長」である。マタイは各々の氏族を統括し、財産を掌握し、政治をとり行う義務と権利を持つ。私は村に9人いた高位のマタイに加え、10人目の高位のマタイの称号を授けられたのである。その名を「チュイアオボ=フィロイツームア」という。
  就任式当日、近隣のマタイも駆け付け、私はサモア語で誓いと祈りの言葉を捧げた。豚などの食料をふるまい結構な散財もした。そして、私は受け入れられていく自分を感じ涙した。つまり、ようやく「お前も私達の一員なのだ」と正式に認められたのである。着任18か月目のことであった。
  この日が、私の本当のサモアの生活の始まりであったのだろう。多くの失敗をし、更に多くのことを学んだ2年間であった。感謝は尽きない。
  そのおすそわけをひとつ。「仕事はみんなでたのしくやらなくちゃいけない。」これがサモア人に学んだ感動を生む原則だ。
  「やってあげる」義務感だけでは壊れてしまう。「してもらう」受身では卑屈になる。「援助」の押しつけは語義矛盾。欲しい物をあげれば良いということでもない。何十億、金がかかろうとも、「協力」する側もされる側も得るものを得て、最後に感動するために、私はこの原則を心がけたいと思うようになったのだ。大きな収穫であった。

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