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DATUMS 1995.07
鯨と海の科学館――岩手県下閉伊郡山田町

加藤 秀弘  水産庁遠洋水産研究所大型鯨類研究室室長

■かとう ひでひろ
 1952年神奈川県生まれ。北海道大学水産学部卒業。同大学院、旧鯨類研究所を経て、現在水産庁遠洋水産研究所(静岡県清水市)大型鯨類研究室室長。IWC(国際捕鯨委員会)科学委員会委員。近著に、鯨館建設にまつわる人間ドラマと読み物風にまとめたマッコウクジラの自然誌を二本柱とする『マッコウクジラの自然誌』(平凡社、1995年)。


  ことのおこりは1987年11月のある日のことであった。旧鯨類研究所に勤めていた私は、日東捕鯨(現デルマール)という中堅の捕鯨会社の重役である千田さんという方の突然の訪問を受けた。
  「実はさっきマッコウクジラが捕獲された。砲手もたまげるぐらいの大物だ。日東は40年間山田町に基地を置いてきたが、沿岸捕鯨も今年が最後だ。町にも大いに世話になり、何か記念になるものをと考えていた。そこで、このマッコウクジラの骨格を山田町に寄贈し、記念館のようなものをつくりたい。ついてはあなたにこれからすぐ山田に来て、骨格標本をつくってもらいたい。」初対面の千田さんのこの唐突な要請にはまったく驚いたが、結局私は目前に迫っていた南極海の調査の準備を一時中断し、その晩千田さんの車で山田町に向かった。そして私にとっても驚くべき傑物、17.6メートルというマッコウクジラの解体に立会い、骨格を採集し、「油ぬき」のために海岸の砂中に埋めた。
  千田さんはその後膵臓ガンのために逝去され、山田町の日東鯨の事業所ものちに閉鎖されたが、彼とのこの出会いは、私には実に忘れがたい思い出として残り、さらに岩手県下閉伊郡山田町の、小さいながらも世界に誇れる博物館「山田町鯨と海の科学館(略称鯨館)」建設の発端となった。私はこういった経緯で鯨館づくりの相談に与ることになったのである。
  山田町は人口2万6千人弱の養殖業などを主体とする三陸の小さな漁村である。博物館建設計画は役場に新たに組織された企画課の初代課員を中心にして行われることになったが、個性豊かで郷土愛に燃える人材もそろい、実によく議論した上で、博物館つくりという未知の事業に取り組んだ。
  この博物館づくりのポイントは二つあったと思う。まず、この世界最大級のマッコウクジラの標本作りに町内の小中学生に参加してもらったことである。「油ぬき」のために埋めた巨大な骨格の掘り起こしと洗浄は手作業が基本、猫の手も借りたいほどの忙しさであった。骨の掘り出しは、まさに町の一大イベントで、小学生の参加はこの面でも貢献大だった。だが本当の狙いはこうした作業を通じて町の将来を担う子供たちに博物館の意義を理解してもらうことにあった。
  第二のポイントは、博物館の性格付けである。捕鯨業は確かに小さな山田町の大きな産業であったが、ここに西日本に見られるような長い捕鯨。鯨食文化が育ったとはいいがたく、なぜここに鯨館が必要なのか、おおいに議論された。私も議論に加わったが、「三陸の海と切っても切れない山田町が今後も海と共に生きるためには、海が自ら創りだした最終的創造物である鯨がどのように海に進出し、またどのようにして海になじんだかを学び(鯨の祖先は陸上哺乳類)、今後の海と人とのつき合い方の糧にする」という方向づけとなった。
  鯨と海の科学館は1992年7月に、おりから三陸の市町村で華々しく開催された「三陸海の博覧会」の一会場としてオープンした。その年には、私には信じられないような12万人強が鯨館を訪れた。お祭りが去った翌年には、当然のように寂しさが訪れた。盛岡からにしても相当の遠隔の地と言わざるを得ないが、一度はここに来て「なぜ海があるのか?」「クジラはなぜ海に棲むのか?」などと考えることも、人生にとって決して無駄にはならないだろう。

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