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DATUMS 1995.07
タヌキの眼から環境を考える−東京都町田市

桑原 紀子  多摩丘陵野外博物館・たぬき実行委員会代表

■くわはら のりこ
 1944年生まれ。京都女子大学文学部卒業。現在、市民グループ・多摩丘陵野外博物館事務局長。たぬき実行委員会代表。「能ヶ谷の自然を愛する会」世話人。観察会などを通して多摩丘陵の自然とつきあいながら、自然と共存する地域づくりを提唱している。


  私の住む東京都町田市は、都心から急行電車で1時間足らずの近郊都市です。多摩丘陵と呼ばれる、なだらかな起伏のある丘陵地帯に位置しています。都心への通勤圏にあるベッドタウンとして急激に人口が増え、それに伴って開発も進んでいます。
  タヌキに初めて出会ったのは1988年10月のことでした。道路でタヌキがひかれていると聞いて自転車で駆けつけると、見事な毛並みのタヌキが口から血を流して死んでいました。山にいるはずのタヌキが、どうしてこんな幹線道路に出てきたのか不思議でした。側を次々に車がスピードをあげて走り去ります。タヌキの死体など誰も関心を払わず、忙しそうです。何に向かって人間はこんなに走っているのだろう?その時初めてタヌキの側になって、自分たち人間を見ていました。
  この出来事がきかっけとなって、町田市を中心にタヌキ情報を集めてみました。思いがけなく、ほとんど全地域にわたってタヌキの目撃情報が寄せられました。こんなに自分たちの身近に棲んでいたのです。調べてみると、農家ではトウモロコシなどの被害が出たり、鶏が盗まれるなどの事件も起きています。10年前は農作物の被害はなく、タヌキを見たこともなかったそうです。山がなくなってタヌキも可哀想なもんだよな、という意見も聞かれました。一方タヌキを飼っている人たちもいました。市内のタヌキ交通事故件数も1989年の43件から、1990年には62件と増加しています。
  地域の中にタヌキとにんげんの様々な関わりがあることに気がつき、「たぬきシンポジウム」を開いて、人とタヌキとの共存を考えるのは、自分たちの町の在り方や、生き方を考えることにつながることに気がつきました。シンポジウムの翌年1992年5月には、土木学会が公募した「地域環境都市パネル展」に「人とタヌキの共存する都市環境を考える」というパネルを2枚作り、応募しました。今まで地域で調べたタヌキの実態や交通事故多発地帯の環境、共存するための提案などをイラストやグラフにまとめたものです。このパネルが一般の部で最優秀作品・建設大臣賞に決まりました。このパネルを中心にした「いまどきの町だぬき」展を町田市内で3週間にわたって開きました。全労済ぶらぼう館との共催で、タヌキの似顔絵コンクールなどもあわせて企画し、審査員に『平成狸合戦ぽんぽこ』を製作中の高畑勲監督やスタジオジブリに協力していただきました。
  この会場に町田市長が来られ、共存する提案のひとつタヌキトンネルの実現のきっかけになりました。市民からのカンパを基にタヌキトンネルも市道地下に開通しました。1994年と1995年には近隣都市のタヌキ研究者たちで「タヌキサミット」を開いて情報交換も始まっています。
  開発の進む多摩丘陵で、タヌキたち野生動物と健全に共存していくために、人間はどんな地域づくりを選べばいいのか、これからも自分の中に育ってきたタヌキの眼から、環境を」考えて提案していくつもりです。

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