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DATUMS 1996.12
平和の願いを詩集に託して

藤村 博之  滋賀大学経済学部教授

■ふじむら ひろゆき
 1956年、広島県大竹市生まれ。名古屋大学大学院時代に旧ユーゴ(現在のクロアチア共和国)に留学し、労働者自主管理の実態研究をおこなう。クロアチア人の夫人との間に2男2女があり、家族は戦争前からクロアチアに在住。戦時中、何度もクロアチアを訪れ、空襲警報で防空壕に避難した経験を持つ。


  地球上では、現在でも、さまざまな場所で紛争が起こり、人々が命を落としている。私たちは、情報機器の発達によって、茶の間に居ながらにして悲惨な状況を目の当たりにすることができるようになった。テレビは、時々刻々と世界中の事件を送り込んでくる。私たちは惨い映像に一時的に心を痛めるものの、所詮は遠い世界の出来事だと考えてしまう。テレビカメラの向こうに、実際に暖い血を流し、家族や友人を失った悲しみに打ちのめされた人々がいることを感じるには、私たちの側に豊かな感情力が必要である。
  私は、今年の9月末に『この苦難のときに』と題する詩集を翻訳出版した。この詩集は旧ユーゴの分裂にともなう戦争の中で、クロアチアの現代詩人たちが平和を祈って詠んだ詩を集めたものである。この詩集の出版を決意したのは、戦闘状態にあった旧ユーゴの民衆が何を思い、何を感じていたのかを日本の人々に知ってもらいたかったからである。映画の一コマとしてではなく、血の通った人間がいることを詩を通して感じてほしいと考えたからである。
  旧ユーゴでは、1991年から昨年末まで、血で血を洗う戦闘が繰り返されていた。91年夏にクロアチアで始まった戦争は、92年初めにいったん終結するが、92年春にはボスニア・ヘルツェゴビナに飛び火し、多くの死傷者と難民を生み出しながら3年半続いた。オーストリアのウィーンから直線距離にしてわずか 250キロメートルの場所で、4年半にわたって人々の血が流されたのである。
  旧ユーゴの海岸地域、アドリア海沿岸は、ヨーロッパの人々にとって夏休みを過ごす快適な場所だった。6月半ばから9月終わりまで、キャンピングカーを引いたドイツ人やオーストリア人、イタリア人で賑わっていた。しかし、戦争の勃発とともに、海岸で静かに過ごす外国人観光客の姿は激減した。
  95年末にボスニアの戦闘もようやく終わり、旧ユーゴ地域で血が流されることはなくなった。今年の夏、アドリア海沿岸は観光客で賑わい、表面的には急速に戦争前の状態に戻りつつある。しかし、傷ついた人々の心を癒すには多くの年月が必要である。
  日本政府は、旧ユーゴの復興を手助けしようとしている。わが国の国際社会における地位を高める良い機会であるが、本当に血の通った援助をするには人々の気持ちを理解することが必要である。『この苦難のときに』が両国の相互理解の手助けになれば幸いである。

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