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DATUMS 1996.12
「本当の…」と問いかける馬鹿

中沢 孝夫  経済評論家

■なかざわ たかお
 1944年生まれ。全逓労組中央本部を経たあと、立教大学法学部を卒業しフリーランス。著書に『起業家新時代』『良質な社会と自己訂正能力』『働きものたちの同時代』など。


  固有名詞をあげないと、隔靴掻痒になるのではっきりというが、さきの総選挙で保坂展人などの名前をみてびっくりした。日頃の発言などを聞いていると、まともな常識を備えた大人とは思えないからである。もちろん新進党や自民党にももっとひどいのはいくらでもいるといわれるが、それはそうなのだが、政党の人達の意外性には憂鬱になってくる。
  民主党の比例区などでも「ええ!あの人が」と、知る人はみな驚きの声をあげていた例もあるが、しかしよく考えてみると、過去もずっとそうだった。そういうたぐいの人が登場する確率が高いのだ。「本人の知性や人柄のレベルを知られると票が減るから、候補者が直接有権者と接触する機会をつくるな」などと選挙対策関係者が話している場面に出くわしたこともあるくらいだ。
  議員全体をみたときには、もちろんすばらしい人物はいるし、筆者も何人ものすぐれた人格と識見を備えた政治家を知っている。だから絶望しているわけではないのだが、人材難はたしかなようだ。しかしこれも政党関係者や政治家にいわせると、「これはと思う人物に立候補を働きかけてもみんな出てくれないものだよ」という答えがかえってくるが、きっとそうだろうと納得せざるを得ないのだ。
  選挙などというプライバシー丸だしの過酷なショーを「禊ぎ」として理解し、そこに参加するなどという発想はなかなかもてないものだ。よほどの条件があればともかく、のるかそるかの危険性があったら常識的な人間だったら二の足を踏むのが当然であろう。
  だから政治を語ることはできるが、政治を直接担うのはとても難しい。せいぜい棄権をしないという程度になってくる。しかし奇妙な候補者の登場を含めた政治への「しらけ」は実は今日の事態が健全であるという側面を備えている。過去を振り返ってみたとき、政治が輝いている時代は、一部の知識人や政治家にとって状況が面白いとはいえ、普通の大衆はさしてめぐまれていないものである。
  かつては毎日の暮らしが貧しいがゆえに「夢」があったのだ。日々の現実が克服の対象であるとき、「夢」や「理想」をもつ以外にどのような過ごし方があるといえるだろう。昭和20年代、30年代から比べれば圧倒的に庶民は豊かになった。これはよいことであり、戦後政治が部分的に寄与していることも事実である。そうした現実を前にしたとき、よく「真のゆたかさとは」とか「本当のゆたかさとは」などと、もっともらしい問いかけをする馬鹿がいる。そういう問いかけをするのは、自分が満ち足りている人間だ。「真の」とか「本当の」の説明を一言もできない奴がそうした世迷い言をいうのだ。 
  政治に「しらけ」ていてもさしあたって困らない日々があることはすてたものではない。政治のもつ困難さは、政治的な成功をおさめればおさめるほど、大衆は政治に関心を喪うというアンビバレンスなところにある。
  こういう時代は行革でも PKFでもなんでもよいが、政治の側が揺さぶりを起すことが必要なのかもしれない。もちろんリードするのは官僚ではなく政治家である。そのときわれわれは「絶望的な人物」の存在は忘れ、残されている可能性の方に目を向ける必要があるのだ。

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