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DATUMS 1996.12
「チョベリバ」の正体

武田 徹  ジャーナリスト

■たけだ とおる
 国際基督教大学大学院比較文化研究科博士後期課程修了。著書に『メイド・イン・ジャパン・ヒストリー』(徳間書店)、『偽満州国論』(河出書房新社)、訳書に『文化加工装置ニッポン』(時事通信社)などがある。現在日本の隔離医療システムを文化論として分析する作業に当たっており、97年初頭には刊行の予定。


  今の若者、特に女子高校生は不幸のどん底にいる……。と、書くと大いに反論されるだろう。今の若者達ほど既存の倫理観のしがらみから離れ、自由に振る舞っている存在はないのではないか、と。
  確かに、今の女子高生は制服規則の隙間を縫ってルーズソックスをちゃっかりお洒落のアイテムにしてしまったし、一歩学校から出れば青いアイラインでメイクを決めて闊歩する。帰宅途中のファストフード店では「チョベリバ(=超ベリーバッド)」だとか「MMC(=マジでムカつく、コロす)」などと自分達独自の言葉を駆使して和気藹々と会話し、小遣いに不足したらテレクラに電話して“援助交際”も厭わない。
  しかし……。確かに援助交際で遊ぶ金を稼ぎ出す彼女達は、経済的にリッチだ。だが、それと引き替えに彼女達は性的に貧しさを実は強いられている。これは長時間の取材でやっと聞き出せる類の話題だが、彼女達は不特定多数と性的関係を持つことが習慣化しているために、エイズをはじめとする性病に対する深い恐怖を抱くに到っている。もちろん彼女達なりに予防策は講じているのだが、見えない病原菌への不安はそれでも払拭されがたく、周囲の目が恐くて検査にも行けない。結果として、たとえ本命の恋人とメイク・ラブする場合に自分がもし病気だったらどう弁解しようかと悩むし、相手も不特定多数と関係を持っているのではと不信感を抱く。そのために彼女達はもっと内向的だった彼女達の上の世代の女性達よりも、実は性の開放感を知ることが出来ないでいるのだ。ここに大いなる逆説があることを見逃してはならない。
  若者言葉にも逆説がある。たとえば極端な例として単語の中に「り」「しゃ」の音を混ぜ合わせ、「おばさん」を「おりばしゃさん」と発音する「りしゃ語」と呼ばれる言葉使いが一部で用いられている。これはもはや一種の暗号化であり、目の前にいる人の悪口を平気で言える隠微な楽しみをこれで若者は味わっているのだが、自分達だって解読に苦労し、スムーズな会話術など当然ありえない。
  そんな苦労まで強いられつつも、新しい言葉使いにこだわるのは、同じ言葉を使うことが自分達が仲間であることの確認になるからだ。若者ファッションにも同じ確認機能があるし、援助交際も仲間同士の交際を経済的に維持するために行われている。それほど強く「仲間」を意識するのは、彼らが酷薄なイジメを経験してきた世代だから。彼らは大人達が予想する以上にか弱い、群れからはじき出されることを恐れる「小動物」なのだ。
  こうして見ていくと最近の若者が自由奔放でもなければ、幸福でもないことが理解できるだろう。しかし世間はそんな彼らの正体に全く気づかず、正反対の評価をくだし続ける。この無理解こそ彼らを不幸の淵に蹴落としている。この歪んだ状態のままでは次代を担う若者が育てられないことは、残念ながら確かだろう。

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