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DATUMS 1996.06
エモーショナル・マーケティングの諸相

高橋 秀夫  (株)リンクスコーポレーション代表

■たかはし ひでお
 1950年岡山県生まれ。幼少時名古屋に移住し18歳まで名古屋で生活。東京の大学卒業後、出版社、自治体職員などを経て、地域プロジェクトの事業づくりを主な事業とするリンクス・コーポレーション設立。


  ちょっと聞き慣れない言葉ではあるが、エモーショナルマーケティングという概念がある。エモーショナルマーケティング(Emotional Marketing)とは生活者の意識や感情に訴えかけることを主目的にしたマーケティング手法のことである。既存の商品では埋められない「隙間(穴)」を探し出し、そこに感覚的で特殊な意味を付与することにより、強引に需要を開拓する。その意味ではニッチマーケットの開拓とも異なっている。
  通常マーケティングとは、生活者のニーズを把握し、そのニーズを満足させらせる商品を開発・販売していくプロセスであるという意味に於いて、統計学であり社会科学的である。しかし、エモーショナルマーケティングはこういった科学性とは無縁な、いわば心理学に近い手法である。
  エモーショナルマーケティングがプラスの手法として陽の目を見た時代があった。1980年代のバブル時代である。バブル時代は生活者のニーズが心理的に高額化・多様化したため、一見通常のマーケティングが対応出来ないような錯覚が生まれた。そこで生活者の意識や感性を差別化の基準にしたエモーショナルマーケティングが一部に取り入れられた。 このマーケティングの典型的な成功例として挙げられるのは日産自動車の「Be−1」である。「Be−1」は「青山で格好いいと思われる車がないから、それを作る」と言う極めて単純な発想から出発し、デザインの差別性を極端に追求した車である。何故「青山」なのかは意味がなく、「青山」であることが意味を持つのである。購入者は車を買ったのではなく「青山」を買ったのである。結果は瞬間爆発ヒット、即低落になった。また「DCブランド」もそうである。当時の高校生や大学生が異常とも思える高価な服を先を争って買ったのは「六本木」を買ったのである。これも3−4年の命で終わった。
  人間が消費志向の動物である限り、エモーショナルマーケティングが発生する潜在的な条件は不断に発生する。1990年代に入りこの手法はマイナス面として深く隆盛してきている。平成不況が長期化しているがために生活者心理を逆手に取り、むしろより一層拡大してきているのではないだろうか。例えば「ねずみ講」まがいの組織販売(通称ネットワーク商法と呼ばれる)はより狡猾になり、若者や女性の間に深く浸透してきている。「ねずみ講」は至極単純な錬金術であり、真面目に考えれば簡単に間違いに気づくはずであるが、騙される人がいっぱい出てしまう。人間が本来持っている「楽して金を儲けたい」という心理を逆手に取ったこの商法は、「ここにしかない商品」というカモフラージュにより、実は他人を犠牲にする上に成り立つ商法である。一種の「夢」を甘言で与えることで生活者の警戒心を突き崩す。
  最近流行している「かつらの広告」「エステ(痩身)」も典型的なエモーショナルマーケティングである。身長と体重の適正なバランスや身体の機能を全く無視し、「この時代のあるべき姿(良いイメージ)」を意図的に作り出すことにより、不必要な需要までも喚起する。エモーショナルであるために、本人達はあたかも強迫観念に駆り立てられたように必死になり、高い授業料を惜しみなく投下してしまう。数年立って見れば、如何に意味のなかったことか絶対に解るにもかかわらずである。また首都圏ではコギャル・マゴギャルの間で、空前の「シャネル」「グッチ」ブームが起きている。数万円する定期入れ。化粧ポーチ、バッグのたぐいが飛ぶように売れている。本来彼女達にはそれ程高額な商品は不必要であり、マーケティング的に考えるとターゲットになり得るはずがない。しかし、こうした商品を持っていることがあたかも自分の価値を高めると言う錯覚を起こすエモーショナルがその根底に存在しているのである。金額的にとても手が出せないギャル達は「なんちゃって商品(コピー商品)」を解っていて購入する事により、追随的に自己主張をしようとする。エモーショナルマーケティングは生活者のある種の心理的弱みにつけ込んだものではあるが、問題なのは生活者自身が積極的に追い求めてしまうという特徴を持っていることである。紛い物の商品は論外としても、本当に価値のある商品までもがこのマーケットに取り込まれ、本来の価値とは無縁な存在と化してしまう恐れもある。
  では何故こうしたエモーショナルマーケティングがはびこるのか? その責任の一端にマスコミのいい加減な情報提供がある。記事の差別化を追求するために、針小棒大な記事を掲載する。その時、芸能人を引き合いに出して記事を書いたり、あたかも誰でも成功するかのごとく書くから、生活者が思わずのってしまうのである。現代は情報過多の時代であり、その結果生活者は情報の取捨選択に追われ、情報判断の客観的な基準を見失いつつある。まるで「壊れた浄水器」のように、情報の収集が単線的で判断基準がエモーショナルになっているのである。価値判断が消失しつつある不確定な時代を迎え、エモーショナルマーケティングは今後ますます浸透していく危険性がある。

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