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DATUMS 1997.12
佐藤孝行を大臣にすべきだった

中沢 孝夫  経済評論家

■なかざわ たかお
 1944年生まれ。全逓労組中央本部を経たあと、立教大学法学部を卒業しフリーランス。著書に『起業家新時代』『良質な社会と自己訂正能力』『働きものたちの同時代』など。


  橋本首相の評価が急に下がったのは佐藤孝行問題からだった。内閣の改造という総理大臣の専権事項の実行が命取りになった。しかもここにきて「中国人通訳」との「下半身問題」も、公安すじのリークもあって、だんだん信憑性を増してきた。リストラ対象の公安関係者の生き残りのための恫喝、と読めないこともないが、ともあれ村山政権末期よりももっとひどい状態といってよい。
  しかしそれにしても解せないのは、佐藤孝行問題のマスコミの論調だ。佐藤の人相の悪さも手伝っているし、この人の裁判のあり方や検事への悪口などをみていると、往生際が悪く、反省の念のないことも事実であって、大臣就任を棒に振ったのは自業自得といえるだろう。
  ただそうではあるのだが、いったん罪を犯した者は二度と復活できない、とする論調はいかがなものか。会社の場合、一度失敗したら、もうもどれない、などという意見をみると、どうなっているのかとクビを傾けたくなる。
  敗者復活戦を認めない社会は健全ではないのだ。人間はもともと不完全なものであって、罪を犯したり、悪意や底意をもっているものである。もちろん感動的な行為や、献身的な行為によって日々を過ごしている立派な人がいることは事実だが、政治というものは「人間は悪いこともする」ということが前提となって制度化されている、ということはもっと思い出されてもよい。
  善意や正義感に溢れた人物に政治を担って欲しいという気分があるのは事実だが、善意や正義感は必ずしも支配の前提にはならないものだ。「善」も「正義」も多様だからである。従軍慰安婦問題の議論をみてみるとよい。それぞれの論者の自ら信ずる「正義」へのこだわりは異常である。論争相手をどうやって傷つけるかで一生懸命だ。自分の考え方や能力を疑って、時には相手の意見に耳を傾ける、なんていう姿勢はまったくない。こんな人たちが権力を握ったら大変だといつも思う。
  「人の支配」ではなく「法の支配」を民主主義の基礎においたのは、人間の不完全さへの智恵なのである。
  もちろん指導者には使命感をもって欲しいし、公人は清潔であって欲しい。しかしそれのみを中心に据えると、退廃や腐敗はますます陰にこもってしまうものだ。敗者復活が認められないと、何がなんでも「逃げ隠れしよう」ということになってしまうし、場合によっては「罪のかばいあい」が常識化してしまうのである。
  もちろん橋本首相が佐藤を起用したのは、自民党内のパワーバランスからであり、日本の政治風土に風穴をあけようとしたわけではない。しかしあえて起用したことはひとつの決断だった。その決断は、少なくとも選挙のときに佐藤の立候補それ自体には異を唱えられなかったからである。佐藤孝行は現行の政治制度を認める限りにおいて国民代表である。ダブルスタンダードはマスコミの常套手段であって、そのことではマスコミは責められない。しかし議論のバランスの悪さは抜群だった。
  佐藤に大臣をやらせ、名誉復活のために、国民に喝采を浴びる手柄を立てさせる舞台を与えるべきだったと私は思う。

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