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DATUMS 1997.01
ヒマラヤは食べられない?!

定松 栄一  シャプラニール:市民による海外協力の会ネパール駐在員

■さだまつ えいいち
 1961年生まれ。青山学院大学卒業後、日本赤十字社に入社、86年から2年間同社のエチオピア駐在員を勤める。この時をきっかけとして海外協力の面白さと難しさに目覚める。92年シャプラニールに転職し95年より現職。ネパールのNGOと共に「北」からの押しつけでない「住民主体の開発」の実現に取り組んでいる。


  「一生に一度でいいから憧れのヒマラヤを自分の目で見たかったんです」カトマンズの空港は日本からの観光客でごったがえす。空気の澄む乾季をねらってのヒマラヤトレッキングツアーは大人気。しかし忙しい日本人のこと、長い休暇は望むべくもなくヒマラヤの麓の気に入った村でのんびり過ごすというわけにもいかない。ハイシーズンともなれば復路の旅程の変更などもってのほか、予定通り歩くしかないのだが、ヒマラヤを眺めリフレッシュした友人はつぶやく。「日本に帰りたくないなあ」
  日本でネパールの政治や経済のニュースが流れることは極まれなことだが、最大の援助国日本の動きはここカトマンズにもよく伝わってくる。相次ぐ汚職事件、女子高生の援助交際、サリン事件の公判などなど。日本人の一人として何となく片身が狭くなってしまうようなことも報道されているのだが、それでもネパール人から聞かされるのは「日本のように豊かになりたい」という言葉だ。ラッシュ時の満員電車の不快さや、家族と過ごす時間の少ない忙しさ、一生働いても手に入らないマイホーム事情など日本の現実を話しても彼らの「憧れの国日本」のイメージはなかなか崩せない。「ネパールは日本にない豊かさが沢山あるじゃない。それに世界に誇るヒマラヤも」と切りかえしたところ、「ヒマラヤは食べられないさ」と素気なく言われてしまった。私たち日本人はどこか神聖な輝きをおびるヒマラヤに憧れるが、彼らにしてみればそれは直接換金できるものでもなく、それよりはお金に興味があるのだろう。
  しかし「お金さえあれば何でも手に入る」という発想を持つようになったネパール人を責めることはできない。なぜならこれまで富める「北」の国を手本とし、貧しい「南」の国を開発しようとしてきたのは北の国の私たちであり、北が南より多く持っていたのはお金だけであった。世界の国々を序列する指標として使われる国民総生産(GNP)は「どの国がお金持ちか」を示すものに他ならず、それは「豊かさ」の指標ではなかった。
  こうした指標のナンセンスに気づいている人は北よりも南に多いのではないだろうか。これまで海外協力といえば富める北が貧しい南を援助し、南は北から学ぶものと考えられがちだった。これからの海外協力は北でも南でもなく、世界の人々が自分の民族や文化に誇りをもって暮せることを支え合い、多様な価値観を認め合うものとして広がっていくのが望ましいということをネパールの人々から教えられる日々である。
  1997年が日本の海外協力の転換点となることを願ってやまない。

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