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DATUMS 1997.02
夢松原からひろがるネットワーク

川口 道子  はかた夢松原の会代表

■かわぐち みちこ
 1947年九州大学名誉教授(工学部)張玄彦氏に師事。いけばな玄雅会創立。72年香蘭女子短期大学講師を勤める。74年柏市麗澤大学教授(美学・哲学)大塚真三氏に師事。福岡県生活学校連絡会会長、福岡市日中友好協会理事長、福岡県環境アドバイザー、福岡市総合計画審議委員会委員など、様々な分野の委員を歴任。中国との交流の橋渡しもする。


  博多の海岸は、かつては玄界灘の筑前八松原の景勝の一つに数えられており、1935年(昭和10年)ごろまでは東北から南西へ、延々24kmにおよび、玄界沿いに壮大な白砂青松を繰り広げていました。近代1世紀にわたって破壊してきた松原を復元していこうという切なる思いから、市民の手で浜辺に愛を植え続けて9年目になり、今では市民の憩いの場になっています。「アジアに開かれた新湾岸都市・福岡」をキャッチフレーズの下に造成された人口海浜に、行政と関わりながら基金活動と運動を通して植えた松は、成木苗木合わせて1万2000本余りになります。

◆点が線に、そして面に
  松原を復元させようという運動は、長い時をかけ樹木を育てるという伝統的な営みを後世に伝える、いわば快適な場づくり、人づくりの原点とも考えています。市民が参加することで、海辺に人々を呼びもどし、自然の生態系の回復にむかって、よりよい自然環境の創出につながるからです。
  山の崩壊や海の崩壊は国土全体の崩壊をもたらします。海岸に松を植え続けることを活動拠点にしながら、地域にとどまらず、玄界灘・日本の海岸を松原でつなぐ交流、海に流れ込む川や源流を抱く山間部へと活動の場を広げ、水系や流域内で連携交流し一体となって国土の保全に向けて取り組んでいます。

◆博多から中国へ
  環境保全の連携は国内にとどまらず、中国の黄河流域に広がる中衛で、長さ55kmにわたり砂の動きを止めて包蘭鉄道を守り、砂に埋もれた農地の復興と、緑の大地をつくって40年という砂漠緑化事業の視察・交流をしました。95年10月には北京環境センターと共催で、シンポジウム「日中環境交流研討会」を北京で開催しました。環境問題は国境を越えた関心事であり、民間レベルでの初の取り組みでもあり、97年の福岡でのシンポジウムには北京からの参加も予定されるなど、実りの大きいものとなりました。

◆山も川も元気が一番
  94年には、台風で九州の山々は大変な風倒木の被害をうけました。わたしたちは早速、博多の一大イベントの「どんたく」に、風倒木でシャモジを手作りし「山も元気・都市も元気」とシャモジを叩き、被害状況を訴え募金活動をしました。
  また、福岡の中央部を流れる、お世辞にも美しいとはいえない「しかし貴重な都市空間である」川で、『樋井川で遊ぼう1万人大作戦』を実施しました。子どもたちは「楽しかった」「遊べる」。大人たちは「川をもっときれいにしなければ、来年もやろう」と自然とよりを戻すために心に余韻を残しました。特に福岡は過去2回の大渇水で、水の生活文化を豊かに、という思いを強くしていることもあるようです。

◆環境実践大学で学びあい
  地域と交流し、一緒に運動していく中で、広く人間を取り巻く環境や、地球の生態系にいたるまで、総合的に、そして新たな価値観・対応が必要とされていると実感しました。「はかた夢松原の会」では、市民、研究者、企業、行政がそれぞれの情報を持ち寄って、環境問題を総合的に研究し、知恵を集めて解決策を探り、身近にできることから実践に結びつけていく「開かれた場」として『環境実践大学(仮称)』の設立を目指しています。環境問題解決を実践に移そうとワークショップも重ねてきました。常設の交流の場・提言の場として、大いに学び合う場になるでしょう。様々な出会いと交流の中で国民的合意が生まれ、「自然環境を創造」していけることを願っています。

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