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DATUMS 1997.03
ホントはね…

松岡 二郎  宇都宮大学講師

■まつおか じろう
 1947年東京生まれ。明治大学法学部・政経学部経済学科、同大学院法学修士終了。現在宇都宮大学教育学部・明治大学法学部兼任講師。専門分野は実務労働法。労働法の講演・評論活動を行う。埼玉県労働教育審議会、その他委員会の座長・委員を務める。著書に『口語労働法』『女性労働者の保護』『パート・外国人・中高年労働者』『労働時間ハンドブック』など。


  私は、東京都や埼玉県の各労政事務所の依頼で全日や夜間の就労希望・就労の高校3年生に労働法を話に行きます。全日制の高校生などでもアルバイトは日常化していますので、私は、講話の最初に年休の話を切り出すのです。
  「皆さん、アルバイトを休んでもアルバイト料を貰えることを知っていますか」「原則として、皆さんが店長に向かって、来週の月曜から3日間年休を取ります、と言えばよいのですよ」と話しますと、多くの高校生(傍聴している多くの先生方も)びっくりします。
  そんな中で、たまに高校生達の独り言とも思える呟きが聞こえることがあります。
  「ホントはね」
  この高校生の呟きは、正に日本人の「けいやく」の使い方を言い当てているのではないでしょうか。
  この呟きは、年次有給休暇は労働基準法によって刑事罰を背景に労働者に「ホントは(ね)」保証され、労働協約や就業規則や労働契約の内容になっていることは、我々高校生も知っているが、でも年休は実際にはとれないよ、との意味と解されます。
  従来労働の分野での「けいやく」は、使用従属関係により、身分契約の色彩が強いとされ、現在でも使用者や労働者の意識の中で「うちの社員」とか「うちの会社」と云うが如く身分契約に引きずられている感があります。この身分意識によって労働者の個々の労働条件の権利行使を鈍らせるとされてきました。私は、労働の分野での「けいやく」が身分性が強く感じる原因の一つとしては、これら高校生達の「ホントはね」との呟きにヒントがあると思います。この呟きを云った高校生らは、私の講話を聞く前に年休の知識を手に入れていたに違いありません。そして、これら高校生は、その知識を使わずに持っているだけで終わってしまったことを意味しているのです。
  知った知識は使わなければなりませんが、どの場面でどのようにしてその知識を使うかが大事なのです。日本の教育は、この点が欠落しているような気がします。高校までの世界はマイナーな世界です。誰も教師がテストで 100点を付けることに不思議さを感じていません。なぜ教師は、テストで 100点を付けられるのでしょうか。その答えは、正解があるからなのです。学校で教える知識は、必ず正解があり、その正解をテストに書くための知識になりがちなのです。
  しかし、高校を卒業すると、そこに待っている世界は、正解のない世界なのです。正解のない世界ではテストが意味を持ちません。テストが意味を持たない世界では、知識は、知っているだけでなく使いこなすのでなければ意味がありません。
  労働契約は、知識を使いこなす世界の道具なのです。学んだ知識を使いこなせないのであれば、身分性の強い「けいやく」に身を任せるしかありません。
  日本の基礎教育が知識は使うものだという視点に立たない限り、労働の分野の「けいやく」の身分性は、これからも続きそうに思われます。

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