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DATUMS 1997.04
村で病気とたたかう―金持ちより心持ちになろう

スマナ・バルア  医師・助産・看護士

■SUMANA BARUA “BABU”
 1955年チッタゴン生まれ。74年ダッカの大学を卒業。76年から3年間東京を中心にアルバイトをしながら日本語を学ぶ。82年フィリピン大学で助産及び看護士の学位を取得。83年理学士(地域保健)、89年医師免許取得。現在チッタゴンの応用衛生科学大学(IAHS)地域医療科準教授、東京大学医学部大学院国際保健計画学教室に留学中。


  おばあさんがよく言っていた。「朝早く起きるのは大切なこと、でも小さな兄弟を起こしてあげるのは、もっと大切なことよ」と。この教えが私の考え方や行動の底をずっと流れている。12歳の時、可愛がってくれた叔母が難産のため亡くなった。先進国であれば死ぬことはなかっただろう。私の母が妹の死に泣いているのを見ながら、将来医者になってバングラデシュの村民のために尽くそうと心に誓った。
  1976年医学を学ぼうと来日したが、高度のテクノロジーを用いる日本の医療は故郷の現実に向かないと感じ、比較的自分の国と状況の似たフィリピンで学ぶことにした。
  バングラデシュの農村では治療を中心にした医学よりも予防医学、公衆衛生、母子保健などの保健衛生に関する基本的な知識の啓蒙が必要とされている。そこで、フィリピンでの10年間は、その多くをレイテ島でのフィールド・スタディーに費やした。
  フィリピンでの経験をもとに、故郷のチッタゴンの農村で、村レベルの健康プログラム作りと、医療ボランティアの組織作りに取り組んだ。ボランティアに基礎的な診療の知識を与えるとともに、地域の各家庭の保健調査を実施する。お産のときは誰が取り上げているのか、5歳以下の子どもに予防接種がなされているかなどの実態調査だ。それをもとに毎年ターゲットを決めて、具体的に課題を一つずつ解決をしていく。
  数年前、ある個人的な寄付をもとに深井戸を10本掘ることができた。きれいな飲料水確保もこの国では重要な課題なのだ。将来的には、私の親族が所有している土地に地域ヘルス・センターを建設したいと考えるが、個人としては一生ボランティア精神で、と思っているものの、そうした建設費を工面するためには、財政的現実に直面することになるのが悩みでもある。
  私には日本の途上国援助の方法は、すこしもどかしい。日本はODA(政府開発援助)などでたくさんの資金を出している。しかし、日本の薬で現地の患者を治療し、それをスライドで撮っていく、あとに残された患者のことまでは考えが及ばない。立派な建物が建っても、維持費の電気代が払えないという結果にもなる。それよりも小さな小学校や診療所を10軒建てて、運営にも知恵を貸してほしい。そうすれば村民が自分たちで修繕できるし、地域にどれだけ役にたつかしれない。
  お金や人間をポンと送るのではなく、まず何日間かをゆっくり共に過ごし、現地の人々の生き方を理解し学んでから、初めて「あ、こういうことができる」「今度行ったらトイレを一緒に作ろう」など、なにが必要かが見えてくる。アジアやアフリカの人たちが、自分たちの健康教育に自分たち自身の手で取り組むシステム作りの時期にきていると思う。

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