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DATUMS 1998.10
商店主体のまち場の活性化――早稲田のまちづくりの実践

吉川 富夫  東京都建設局第2区画整理事務所副所長兼調整課長

■よしかわ とみお
 1948年、埼玉県生まれ。東京都庁経済企画庁で、計画、調査を担当。臨海副都心開発担当課長、生活文化局文化事業課長、政策報道室出版課長などを経て現職。最近の共訳に『サンフランシスコ都市計画局長の闘い』(学芸出版)。


  8月30日(日)の東京は、足取りの遅い夏の大型台風につきまとわれ、午後から夕方にかけて大荒れの空模様となったが、ここ早稲田大学構内は「エコサマーフェスティバル・イン早稲田」に集まった、商店の人々、学生、近隣の住民をはじめ、都内はもとより彦根商店会など遠くからやってきた人々で大いに賑わった。「エコサマーフェスティバル・イン 早稲田」は、今年3回目を迎えたが、商店会の方々がまちづくりの中心に座り、全国の街と連携しつつ早稲田の街の中にしっかりと根付いていることを証明した。
  早稲田のまちづくりのスタートは2年前の初夏、学生が3万人、居住者が2万2千人という街の「夏枯れ」対策としてイベントをやろうとしたことに始まる。ただのお祭りでは面白くないということで「環境と共生」というテーマを掲げたことから、ゴミの減量という課題と結びつき、空缶回収機メーカーや生ごみ処理機メーカーのイベントへの参加を促し、また東京都の清掃事業所や新宿区のリサイクル担当課との連携などを生んでいった。イベント時におけるゴミのリサイクル実験は、この年の暮れには平常時の街中のゴミリサイクルの実験へと進化する一方、リサイクルの運動として神楽坂や高田馬場など近隣の街中へ伝播していくにつれて、マスコミにも注目され、瞬く間に全国に大きな話題を投げかける運動となっていった。
  市民や学生や商店などの生活が織り成す街中のことを、早稲田の人々は「まち場」という。まち場の実践は多様多彩であり、かつ千変万化するものである。「環境と共生」をテーマにスタートした早稲田の運動は、その活動の中から、ゴミの事だけを考えていたのではゴミ問題は解決しない。まち場では全てが繋がっていることを学習した。そして、リサイクル、バリアフリー、震災対策、インターネット、地域教育、元気なお店と全ての課題に取り組むことの重要性を実感し、翌年には「早稲田いのちのまちづくり」運動へと展開していった。そして今年は、「公平と平等」への疑問という挑戦的なサブテーマをもった「安全・安心のまちづくり」へと焦点を絞ってきている。
  こうした変化に富んだ早稲田の運動のなかでその推進力となっている力は何だろうか。
  第一に、活動を支えるメンバーは商店主であったり、学生であったり、企業マンであったり、公務員であったり様々であるが、早稲田の実験にそれぞれの夢を託しながら、かつそこから多くを学んで、不思議な連帯感を醸し出している内発的パートナーシップがある。
  第二にこの運動は、面白いからやろう、楽しくやろう、儲かるようにやろう、というようにドライな発想に導かれている。それゆえに、運動の広がりをもつとともに変化の先がみえないという面白さがある。
  第三に、パソコンとEメールが縦横に活躍していることである。普通なら1日のイベントの実施のために、実行委員会を数十回開かなくてはならないところを、ほとんどの打ち合わせをメーリングリストにおける日常的なメール交換で済ませ、2,3回のミーティングだけでイベント本番を成功させている。また、震災、環境、活性化などのテーマについて、メールを通じて日常的に密度の濃い意見交換が行われ、メーリングリスト仲間に広い視野と新たな問題意識を提供していることも大きい。
  早稲田の状況は、大型小売店の進出によって衰退する地方都市の中心市街地の状況とは異なるが、まちづくりの基本は同じである。まち場の人達、とりわけまち場の地域経営を行うことの出来る商店主の集団が、「自分の街は自分で守る」という気概を呼び覚ました時、まち場の活性化への可能性が開けるということを、早稲田の実践は示している。

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