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DATUMS 1998.01
“交流のイメージ”を交感しよう

塩谷 陽子  芸術文化事業研究所、アーキペラゴ社主宰

■しおや ようこ
 
1960年東京生まれ。筑波大学付属高校卒。東京芸術大学音楽学部楽理科卒(83年)。東京で都市計画デザイン会社勤務後、88年に彫刻家の夫と共にニューヨークに移住。90年ニューヨークでアーキペラゴ社設立。日本企業の社会貢献事業としての芸術支援事業のコンサルティングをはじめ、米国における芸術家育成プログラムの研究リサーチ、文化行政のための構想案策定などを行う。朝日新聞、産経新聞、日経新聞など寄稿多数。98年春、丸善ライブラリーより『芸術都市・ニューヨーク/芸術家が芸術家として生きられる社会』(仮題)を刊行予定。


  2--3年ほど前、「アジアン・カルチュラル・カウンシル(通称ACC)」というニューヨークに本部を置く非営利団体に取材をした時のことだ。「米国の芸術家をアジア諸国に送り、アジア諸国の芸術家を米国に迎える」という事業を行うこの助成財団の本部ディレクターは、国際間の交流というものを次のように定義してみせてくれた。
 「ある国の人間が、自分の慣れ知ったのとは違う文化や価値観を他国で体験し、その後自分の国に帰ってからその体験をもって自国に影響を及ぼすこと。こういう影響の及ぼしあいが相互の国で起こる状態が、真の文化の交流です」この話を聞いた時に、私の頭に浮かんだイメージは……旅人が、衣服に他国の草木の種子をくっつけたまま自国の土を踏む……、異国に根をおろしたその種子は、その風土の違いのためにどこかしら様相の違う花を結び、しかし数年もすれば、その種子の存在自体がその土地の生態系にも影響を及ぼして行く……。「あぁそういうものが交流であるか」と、その時には会得した心地の私であった。
 さてこの夏、マンハッタンのアジア協会で行われた『アジア・イン・ダンス』と題するラウンド・テーブル討論会を覗いた。香港、中国、台湾、韓国といったアジアの国々のコリオグラファー7名が、自分のダンス創作の姿勢を語り交わすという内容だ。皆ずいぶんと上手に英語を操るものだと思ったら、聞けば大半がACCの助成の下で以前米国に暮らし、米国の教育を受けたことのある者たちという。自然、話は洋の東西比較に及び、彼らは異口同音にこんな発言をくり返すのであった。
 「西の文化の中で学ぶことによってかえって自分のルーツに深く立ち返ることができました。そしてさらに自分を深く見つめると、そこには西でも東でもない『自分』という創造する個人を発見することができたのです」 こういうできすぎたセリフを聞いているうちに、私は次第に猜疑心に居心地が悪くなったものである。穿ちすぎかもしれない。が、「そもそもここで討論をしている『旅人』たちは、所詮アメリカという国の価値観によって選ばれた者たちではないか。だから彼らがどんな『種子』を拾うか、最後の結果までがアメリカの視点で《プログラム済み》になっている交流事業なのではないか……」。
 さて、そういうネガティブな心持ちをとりあえず脇において、いざ我が国日本を省みる。と、果たしてどれほどの交流事業が《プログラム済み》といえるほどの結果のイメージをもって施行されているだろうか。少なくとも私の親しい芸術文化の分野では「交流」と言っても、相手の国へ行って舞台公演などを“落としてくる”一過性のものか、あるいは相手国の交流事業に“乗っかって”渡航費や運搬費だけを援助するというものがその多くである。
 問題はつまり、国境をはさんだ両者の《イニシアティブ》にあるのだろう。互いの国が各々独自に「交流」のイメージを保持しつつそれをぶつけ合い、同時にイニシアティブを譲り合いながら、相互の意図の反映された事業を一緒に練り上げることができたなら、それこそ互いにとって対等な交流であろう。真の国際交流とは、国際交流への等しい気構えのある文化国家間においてのみ成り立ち得る、と、そう思う昨今である。

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