[BACK]
DATUMS 1998.06
仙台城下・長町宿の再生

黒澤 学  (株)地域計画研究所・プランナー

■くろさわ まなぶ
 1965年生まれ。東北工業大学卒業。ディベロッパーに勤務。同大学院建築学専攻へ社会人入学し、終了後から現職。東北地方を中心に都市と農村に関するまちづくりプランナーの駆け出しである。大学院時代から仙台NPO研究会に参加し、せんだい・みやぎNPOセンター企画委員、センダード・サロン世話人。 都市の中心市街地の衰退が全国的なレベルで進行している。


  仙台市においても居住の空洞化、近隣商業の衰退、治安の悪化等とともに、インフラの非効率利用が顕在化している。特に、中心市街地の縁辺(俗に下町)では、マンションや業務ビルの整備により、高齢者を中心とした従前居住者の住環境が悪化し、居住継続・資産継承が困難な地区が発生し始めている。
  仙台市長町地区は、中心市街地の南部縁辺に位置し、藩政時代に奥州街道(国道4号)沿いに開かれた宿場である。沿道に間口4--5間の短冊敷地が並び、往時には近郷農山漁村からの生鮮品集積地として栄え、明治25年には東北地方で唯一の青果市場が開設された。
  戦後は金属やゴムエ場等が進出し市南部の商工業の中心として、都市と農村、ヒトとモノの循環機能を担い発展した。
  しかし、昭和31年に市場が移転し、40年代には地区を通る国道4号、 286号がバイパス化された。また、路面電車の廃止により交通結節機能も低下した。市場の移転以降の長町は、まさにつるべ落としの状況にあった。
  再生の兆しは、61年の地下鉄開業であり、2駅が開設され、利便は飛躍的に向上し、複数敷地を統合してのマンションや業務ビルの整備により、地区人口は増加、近隣商業環境は好転したが、多様な消費ニーズヘの対応が遅れた商店街では復調の決定打とはならないまま、従前居住者の環境は悪化した。
  前述の工場が郊外に移転し、昨年、跡地に東日本最大級の大規模店舗が進出し、一般市民が歓迎する一方、業種によっては売上げが激減している。さらに、隣接するJR長町駅の貨物ヤード跡地(91.5ha)では仙台市の副都心としての再開発が進行中であり、ある商店主からは「殺す気か」との声も上がっている。
  社会環境の変化に翻弄され、新たな開発が地区の衰退に拍車をかける悪循環、全国の中心市街地の誇張された典型とも言えるこの地区で、まちづくり市民団体や商店会を中心に新たなまちづくりへの模索が始まっている。
  まちづくり市民団体では、再開発地区で計画されている市音楽堂について、フランチャイズ予定の仙台フィルの団員とともに、そのあり方を考え提言し、また、地区の変遷を調べ、歴史の掘り起こしを通じて、住み良い街を市民自らで考え始めている。
  商店会では、四季彩ふれあい市と称する夕市を開催し、四半期のイベントとして定着し始めた。午後4時--8時までの夕市は、消費行動に対応したものであり、近郷農山漁村からの産直出展者が多く、消費者からの支持を受けている。この取り組みを、市場流通と一線を画した新たな(旧来の?)流通チャンネルの開発と捉えた場合、かつて担っていた都市と農村の循環機能の復活である。
  安心安全新鮮を求める消費ニ一ズヘの対応を商店街の再生に結びつける。すなわちタ市を日常化させ、消費ニーズに合った商店街の業態開発が懸案となっている。
  また、商店会と行政により、商住が隣接した環境の創出と災害に強く、高齢者も住み続けることが可能な市街地再整備に向けた勉強会が継続して行われている。今後、多くの市民が参加する中で地区の歴史、個性を活かしたまちづくりが進められるものと思われる。これまでの中心市街地問題、特に近隣商業問題は産業振興と捉える側面が強かった。
  しかし、本格的高齢化社会を目前にし、中心市街地や近隣商業の維持は、高齢者を含めた全ての人が住み続けられる街の維持とインフラの有効活用であり、産業・都市計画・福祉・税制等の複合的な視点からの新たなまちづくりの仕組みが必要である。
  市民がその地に住むプロとして、まちをマネージメントし、多様なセクターと協働する。市民のうねりを起こすことが、まちづくりプランナーの重要な仕事になってきた。

[BACK]