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DATUMS 1998.08
天災は忘れたころにやってくる

浅井 久仁臣  ACT NOW代表

■あさい くにおみ
 1947年、愛知県岡崎市生まれ。元AP通信(米)アジア総局記者。76年に退職後、レバノン内戦を取材。その後、TBSの契約特派員としてイラン・イラク戦争、湾岸戦争、旧ユーゴ内戦などを取材。阪神大震災直後にヴォランティアグループACT NOWを結成、現在も代表として活動中。ジャーナリストは休業中。著書に『パレスチナは戦争館』『魔術的カケヒキ学』(共に情報センター出版局)『レバノン内戦従軍記』(三一書房)など。


  1995年1月17日、私は電話口で、またテレビの前で大声を出し続け、声をからしていた。あの阪神淡路大震災を報じるマスコミへの怒りを爆発させていたのだ。
 TV各局は、発災後4時間を経過した午前10時近くになっても「これまでのところ、犠牲者の数10数名、被害額は北海道東方沖(だったと記憶している)の××億円を上回る見込み」とノンキな報道に終始し、画面には500メートルにわたって倒れた高速道路やそこから落ちかけたバスの姿を何十回となく映し出していた。つまり、この期に及んでも「絵柄のいい」報道にこだわり続けていたのだ。
  そこからは、構造物に対する凄いエネルギーは感じられるものの、血の匂いや命の重さは伝わってこない。危機意識を持ち、想像力の豊かな人たちの集まりであれば、それでも画面から事態の深刻さを感じ取って対応するであろうが、「右向け右」が大好きな国民性のわが国日本でそれを期待するというのは、しょせん無理な話しである。案の定、一部を除いて日本全体が「静観」してしまった。それは、日本人の危機意識の欠如にも起因するが、マスコミの怠慢な報道姿勢のほうが罪は重い。
  その時、被災地ではどれだけの人が、建物の下敷きになった家族を、隣人を目の前にして、迫り来る火の前に悔しい思いをしているか、戦争特派員として同様の光景を目撃してきた私には容易に見えた。
  4年前の湾岸戦争時に、テレビゲーム的な報道をしてしまったあの時の反省は何一つ活かされなかった。いても立ってもいられず、私はマスコミ各社に電話をかけまくった。残念ながら、私の力では報道の流れを変えることはできなかった。
  17日の午後になり、被災地からの情報で未曾有の大災害だと判明すると、今度はそれこそ日本全体が大きなうねりとなって動き始めた。しかし、人命救助の観点からいえば、発災後の7、8時間が勝負である。
  この悔しい思いを周囲の人たちに話すと、ヴォランティア活動に縁のなかった人たちが動きだし、街頭募金(一年半に及んだ)、救援物資キャラバンへと展開し、長田区の公園にテント基地を設けての活動につながった。活動開始からしばらくしてグループ名がきまるというおよそ日本的でないプロセスを経て震災後約 1ヶ月たった2月14日に『ACT NOW―今こそ行動を』が誕生した。このネイミングは、震災に即対応できなかったわれわれ日本人への皮肉がこめられているのは言うまでもない。拠点を浦和ではなく東京に置く案も出たが、敢えて浦和にこだわったのは、「何でも東京」という中央志向に対するアンチテーゼでもある。
  「神戸」における活動は、自治会の再構築を含む「街の再生」まで居座り、裏舞台までも見る機会を得た。住民、行政、マスコミ、そしてヴォランティアがどのように動き、物資がどう使われ、また使われなかったかも見られた。ヴォランティア活動の弊害も実感できた。そこで得られた教訓は貴重な財産となった。その財産は、やがて、起きるであろう大地震に役立つだろうし、役立てねばならない。
  グループ結成の目的は、災害支援はもちろんだが、非常時型の指導者の発掘と育成、行政へのロビイスト活動、市民への情報提供に及ぶ。中でも指導者の育成に重点を置いている。
  「コーディネイターの必要性」が各地で叫ばれ養成講座なるものが開かれているが、的外れなものが多い。コーディネイターはヒトやモノをいかに適材適所に動かすかが求められるはずなのに、座学だけですませているものが目立つ。ACT NOWでは、ほとんど役に立たない旧態依然とした防災訓練に、新風を吹き込むための新機軸を若者に考えさせ、その企画を実践していくことによってヒトやモノを動かし、冷や汗をかきながら研鑽を積んでもらっている。

●活動紹介
<ACT NOW災害救援隊>
  大地震で多くの住民が町内会員や消防団員に瓦礫から救助されたことから「自主防(自主防災組織)」が着目された。しかしながら、隣人の顔も知らない町内会や、20−30代のほとんどいない消防団が主体の首都圏で同様の活動が期待できないと考え、若い層にアピールできるような「都市型消防団」を考えた。
 96年春に誕生。「消防署がヴォランティアを教える」という全国初の試みである。レヴェルは違うが、消防署の救助隊員と同様のメニューで今年3月末まで訓練が行われた。

<帰宅難民ウォーク>
  首都圏に通勤、通学する「××都民」が都内で被災したらどうするか。多くの幹線道路が閉鎖されたり、炎に包まれる中でどう帰宅するか、東京都の被害想定を研究したり同行の建築士に建物や地盤、地形の話しを聞きながら実際に歩いた。第一回目は、昨年8月の灼熱の中を新宿から川口まで歩き、途中落橋した想定でクルーザー3隻を使って荒川を渡った。二回目は、今年1月
16日夜、大雪の残る中、東京駅前を出発し、飯田橋の東京ヴォランティアセンターで救命講習会を開き、終了後はグループに分かれて地図なしで目的地まで歩き、午前2時から滝野川消防署の協力を得て「煙体験」をした。埼玉県の広域避難所に指定された荒川河川敷で炊き出しのありがたみを実感した後、川口駅に1月17日5時46分に到着。阪神大震災に思いを馳せた。
  その他にも図上想定訓練、外国人向け防災訓練、仮設住宅からの引っ越しヴォランティアなどさまざまな企画に取り組んでいる。興味のある方は、電話048-883-8313にご連絡ください。

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